才能とは何なのか?

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才能とは何なのか?

才能とか、天才とか、鬼才とか・・・。

もちろん私は別に天才でも鬼才でもありません。

ごく普通の特別な才能を多分持ち合わせていない人間だと思って構いません。

ただ私なりに才能の正体をここに書いておきます。

(ここではピアノに限らず、すべての世界、ジャンルにおいての才能について書かれていると判断して構いません)

興味がない方、もしくは当たってない、と判断した方はスルーして結構です。

興味を持てた方のみ、お読み下さい。

でも多分これが真実です。


  1. 才能とは究極の努力と情熱、それ以外の何物でもない。
  2. 子供の場合
  3. 思春期の子供が本気で目指そうと決めた時・・・
  4. ゲームなどに熱中する人は何者にもなれない
  5. 降水確率みたいなパーセンテージ数は、どうでもいいです。
  6. もう20年も前の話ですが・・・

才能とは究極の努力と情熱、それ以外の何物でもない。

あまりにも呆気ない単純な言葉しか書いていないので「何書いてんだ?」と思うでしょう。

しかし長年の経験上、究極にはこれが答えです。

才能はそのレベルに上下はありますが・・・小学生がピアノを上手く弾く才能〜職業ピアニストの才能まで。

しかし、そのいずれも同一線上です。

そんなバカな?と思うでしょう。

でも同一線上です。

じゃあ特別な天賦の才能なんていらないと?

・・・ああ、それ・・・個性でしょ?

もちろん、世紀の天才レベルとかになったら、容易な発言はできませんが。

でもそれ以外はどうかな?

別にハッタリで言ってるわけじゃないです。

まあこれから少しづつ、詳細を書いていきます。

子供の場合

子供は同じ年齢にもかかわらず、レベルが違ったり音楽的センスが違ったり。

やっぱりそれって・・・才能の違いですよね?・・・

・・・いえ・・・違います。単純に忍耐力と練習時間の違いだけです(笑)

特に忍耐力が問題ですね。これが足りないと、どうしようもない。

音楽性なんて、人間なんだったら、理解して表現できます。

もっとも精神年齢、というのもありますが・・・しかし・・・。

それ以上に忍耐力、これのみですね。

大人も同じですよ(汗)

大人は上達しないことを、すぐ何がしかの言い訳をしたがる。

そりゃ当然でしょう。もう親がそばにいないので、自分に言い訳を言って聞かせて通そうとする。

それ・・・おやめなさい。あなたの為にならない。

初心に帰って挑むべきです。

それでも大人は「免罪符」があるので諦めることは一向に構いません。

生活上、ピアノは(あるいは他の習い事であっても)弾けなくても、何も困らない。

しかし、子供の場合は・・・将来のことも考えて、「忍耐力」とやらの才能を育成して下さい。

とても大事なことです。

初歩段階では・・・たったのそれだけです。

加えて・・・これからの人生、欠けてはならない、しかしどこの店にも売っていない、自分で拵え(こしらえ)なければならないパーツです。

思春期の子供が本気で目指そうと決めた時・・・

ここで述べているのは何もピアノに限ったことではありません。

念のために述べておきたいと思います。

世の中で何がしかの業績を残している人たちは一体いつ頃からそのような道に進んだか、よく調べて欲しいのです。

大体は中学生ごろから動き始めていると思うのです。

スポーツ選手、音楽家、美術家、研究者、もしくは実業家・・・それ以外でも特殊な職業の人たちはおそらくすべて中学生から遅くとも大学生の間に動いています。

実業家などは多分大学生になってから起業しているとは思いますが、これは高校生もどきで会社を起こせるわけではないですし、それでも高校生の頃から頭の中にはすでに起業内容は考えているはずです。

中学生にもなると、何が好きなのか?何をやってみたいのかが、わかってくるのだと思います。

すなわち、中学生ぐらいがおそらく自分が「何者」なのかがわかるのだと思います。

もちろんそんなこと考えずにごく普通に、みんなと同じく中学生〜高校生〜大学生と送ることは何も悪いことではないです。

そしてごく普通に何の仕事でもいいから安定した会社に就職できれば、それに越したことはないです。

できれば一流企業に入れれば、その会社が危なくならない限り、一生お金に困らない。

もっとも最近は本当にどこの会社も安泰とは言えず、例えば東芝も色々と噂が出ています。

あの東芝が・・・という感じです。

父が東芝の下請けをしていたので、黄金期のことはよく知っています。

ですが・・・もし自分が何がしか目標ができて、それを成し遂げてみたいという思いが強くなった時・・・周りとは違う進路が出てくるわけです。

もちろん、果たしてそれがうまくいくのか?自分がそれを成し遂げられるのか?成し遂げられるとしても将来仕事に結びつくのか?

その辺りは親も心配になるのではないかと思います。

しかしだからと言って子供の意見に初めの段階で真っ向から反対するのはいかがなものかと思います。

何がしかの夢を抱いた思春期の子供の中から間違いなく、世を動かす人材が出ていることは間違い無いのです。

そういう可能性を秘めているかもしれない子供の可能性を初めから潰していいものもかどうか?

試しにやらせてみればいいのです。

私はもちろん音楽ぐらいしか知りませんが、それ以外の分野でも、何がしかを目指したいのであれば、先ずはそのエリート集団とも言える中にポンと放り込めば良いのです。

それで1年待ってみればいい。

1年も経たないうちに、結果は出るでしょう。

あまりに厳しい世界だと感じたらすぐ退散するでしょう。

ですが・・・1年経ってさらに熱心に取り組んでいるようならば・・・。

さらに続けさせれば良い。

そして大概3年間も非常にレベルの高い状態と意欲を持って挑戦し続けているのならば・・・それは本物でしょう。

正確には1年間以上続けば本物。

1年経って本人も辞める気配がなく、それを将来の仕事にしたいと言うのであれば・・・賭けてみて良いと思いますよ。

結果的には本人の情熱がどれだけかがバロメータだと思います。

じゃあ二十歳ぐらいでやっぱり辞めたい、と言ったらどうするのか?

・・・いいじゃないですか。別に二十歳から人生やり直すことぐらいなんてことない。

全然難しくない。

ただし、上記に記したように大概は1年間以内に諦めます。

どちらかというと二十歳になってやっぱり諦めきれないという人の方が多い。

私は知り合いに、たとえば大学を卒業してから諦めきれずに、さらにもう一度大学に入り直して、願望だった医者とか通訳家、音楽家、建築設計士・・・色々いました。

どの人もやっぱり自分の情熱、自分の野望に嘘がつけないから、進路を途中で変えたと言っていました。

この年齢でなら方向転換ができるし、この年齢だったからそれは可能だったのです。

これが結婚して家族ができたら・・・そうはいかないでしょう。

つまり、人生、何がしかに挑むことができるのは10代後半〜20代でしかない。

この時期は非常に重要な時期で、この時期に親は頭ごなしに子供を縛ってはいけない。

子供は小学生までは親の「所有物」です。

いろんな常識、道徳を身につけさせなければならない。

しかし10代後半になったらもう親の「所有物」ではない。

もう親のいうことは聞かない。

それでいいんです。

あとは子供の意見に計画性、情熱、努力がみなぎっているか?

それを判断しつつ、子供を理解するよう努めればいい。

10代後半の子供はどうなるかわからない「未公開株」

ひとつ楽しんで投資してみれば良いと思いますよ。

あなたも我が子は可愛いでしょ?

でも子供に対しての愛情はあくまでも「見返りのない無償の愛」です。

何も期待しちゃいけないでしょうし、結果を求めてもいけない。

一人の人間を育てて、我が親に振り向いてくれなくとも、その人間が幸せになればそれでいいと思えるように親は思わないといけない。

私は音楽しか関わってこなかったのであまり周りのことは知りませんが・・・

大成した子供は間違いなく中学生の頃から周りと2回り以上違う。

完全に「別人」もしくは「変人(笑)」もしくは「鬼才(奇才?)」

とにかく異彩を放っている。

かつ、異常な熱意と努力家。

前にも述べた通り、才能なんて所詮「無限の情熱と努力」の塊です。

言い換えれば・・・異常なほどの情熱と努力。

別にヤクザの世界に入って組長になりたいとか、傭兵になって紛争地域に行きたいとかじゃないんだったら・・・止める理由はないでしょう。

というか・・・親が止めても「本物」は突っ走ってしまう。

それでも親が止めれば・・・結果は本人が家を出る羽目になる。

そんな人も数人いました。

まだ20代前半で家を出て自活しながら目標を目指す。

これほど本人にとって辛いことはないです。

そういうことをさせてでも本人に諦めさせるか?

それは親としては残酷じゃないですか?

ある親が言っていました。

「本人も10年も経てばきっと分かることです。」

「無難な就職、、、は何十年も前から親のDNAに組み込まれていますので残念ながら親はつい言ってしまうのでしょうね。」

そういう親はそういう自分の人生で納得してきたのですから構わないでしょう。

あなたの人生はそれでいい。

子供も同じ考えだったらそれでいい。

でも子供はあなたのDNAを受け継いでいないこともあり得る。

全くの別人の可能性は珍しくない。

ウィルスでさえDNAのコピーエラーが生じて「変異」するらしいんですから(笑)

ゲームなどに熱中する人は何者にもなれない。

ゲームに熱中するのは子供だけではなく大人もそうなのですが・・・。

基本ゲームをするのは別に悪いことではないです。

ただ何がしかの専門家を目指している人はこんな暇潰し、やっちゃいけません。

そんな暇ないでしょ?

もちろんEsports専門家とか、ゲームソフトを作る人が研究のためにやるならわかりますが。

暇つぶしでなくとも、確かにゲームは面白いからついついやってしまうんだとは思いますが・・・。

しかしそういう時間は自分の研究に費やして下さい。それができないのだったらスペシャリスト、専門家にはなれません。

ゲームもテレビも同じです。テレビなんて見ている暇があるんだったら自分の研究に費やした方がいい。

ゲーム、テレビ・・・それを見ないと友人との話に加われない・・・。

だったら目指しているものは諦めなさい。あなたには無理。向いていない。

目標は友人を作ることなのか?それとも自分のスキルを磨くためなのか?

スキルを磨くことにゲームもテレビもなんの役にも立ちません。むしろ時間を蝕む害です。

基本、どんな専門家でもその人のレベルが上であればあるほど、起きている時間のほとんどは自分の研究、練習に費やしているはずです。

どれだけ自分の人生の時間をそれに費やしているか?

それが才能ある人たちの違いだと思います。

逆にいえば・・・そればっかりやっているので、飽きてしまう人もいるかもしれない。

しかし飽きてしまう人はその目標に向いていません。諦めた方がいい。

また、多少のストレスなどなんとも思わない人でなければ成就できません。

なので、世にいう「才能ある人」は多分、相当ストレスに強いはずです。

以前清原選手が松井秀喜と自分を比べて、自分は本当に駄目で松井選手は自分が夜な夜な銀座で遊び歩いている時に彼は黙々と練習を積んで、とうとうメジャーリーグで4番を打つようになった。自分には努力が足りなかった・・・と言っていました。

あの清原選手が「自分は努力が足りなかった」というんですから驚きです。

プロの世界の中でもそういう差がついてしまうんですから、普通の人はもっと努力しないといけない。

自分ができないのだったら人の2倍〜3倍、それでもダメなら5〜10倍努力しないといけない。

私もそれを最近非常に痛感しています。努力、時間、集中力が足りなかったなと。

生活の中心を完全に自分の勉強に費やさないといけない。正直しょっちゅう遊びに行ってはいけないし、こんなふうにインターネットに書き込みをする時間も本当のプロは「もったいない」と思うものなのです(笑)

多分、神的なレベルのプロの人たちというのは、私生活は破茶滅茶な可能性が高いです(笑)

正直一般家庭はまともに運営できない(笑)

そうでないと、プロにはなれない。

中途半端な気持ち、精神力ではプロの世界は通用しないと思いますよ。

降水確率みたいなパーセンテージ数は、どうでもいいです。

時々こういう数字を出す人、いますよね?

プロになれる確率は?試験に受かる確率は?やっていける確率は?

あえて言いますが、そういう数値を出したがる人は、結局応援する気持ちが最初からない、ということなんです。

だからもし、親がそういう確率%を出して「だからやめておきなさい」というのは、数値が低いからではなく・・・元から応援する気持ちが微塵もないという証明なんです。

逆にいえば、子供の良さ、才能をまるでわかっていない証拠。

もちろん、それでもいいのですが、どんなに困難な内容、挑戦であっても、子供がやる気を持っているのなら、確率が低かろうと、応援するべきです。

大体、人の人生を、パーセンテージで決めるのはやめましょうよ。

まあ真珠湾攻撃前夜の御前会議で

「やってみなければわからないです。陛下!」

みたいなことをやっても敗戦になるだけなので(笑)、もう少し詳しく話をします。

どんな世界でも「あの人すごいなあ。いつか有名になるんじゃないのかな?」という人、時々いますよね?

そして、やはり有名になる。

そこにはパーセンテージが1%ぐらいの世界でよくそこを切り抜けてきたなあ・・・ということじゃないんです。

後の99%が大したことのない連中ばっかなんです(笑)

本当にすごい人っていうのは初めから抜きん出ている。

99人の中で一人だけ初めから抜きん出ているわけなんです。

だから、そこを通り抜けて当然なんです。

99人の中には頑張っている人もいるけど、それほど頑張っていない人もいるし・・・いい才能持ってるけど、いまいち努力と根性がなくて作品などの完成度が低かったりで・・・。

99人の全てが抜きん出ているわけじゃない。

初めから抜きん出ている人はいつか私だけでなく周りも認めるわけなんですよ。

もちろんそこには「運」もすごく左右されると思います。

加えて、どんなに実力を持っていても、それが商業路線に結びつかないと、結局やめてしまうことにもなりかねないです。

ここが厳しいところです。

すごい実力の持ち主だけど、それが仕事に結びつかない、趣味のような形で温存されているだけ。

そういう人も結構いるとは思います。

ここが、結局、周りが応援してあげないといけない側面です

そこで周りが色々手伝って応援してあげないと、結局%(パーセンテージ)という数値で終わってしまう。

私自身は今までいろんな生徒を手伝ってきたけど、現在はピアノではないんですが、ポピュラー歌手を目指している生徒がいます。

歌なので、カラオケが大の苦手な私にはもう何も指導はできません(汗)

私は高校時代の連中とカラオケに行って歌わされると「お前、本当に音大出なのかよ?」と疑われるほどの実力ですから(汗)

しかし、ソルフェージュで歌を教えている段階ですでに「あ、この子すごい!」と気がつくものです。

加えて幾つか歌を聞かせてもらいましたが・・・もう本当にうっとり聞き惚れてしまうような歌唱力です。

どんな世界、分野でもすごい人は初めから異彩を放っています。

あとはそれを周りがどうやってサポートして、なんとか仕事として、世に送り出せないか?と思案することなんです。

そういう時にパーセンテージが低いから「諦めろ」と言う気になるか?

本人がやる気を持って頑張っていたら・・・そして応援する気があったら・・・そう言うことは言わないでしょう。

数値がどうのこうのって・・・ダメだったらその時はその時に考えればいい。

挑戦しなかったことを悔やむ人生にするのか?

だったら・・・です。

もちろん、どの世界でも、本人が厳しさに挫けたら、終了です。

そういう精神力の強い人が一体何%いるか?ということになってくるんだと思います。

つまり・・・途中で99%が諦めてしまう、ということなんだと思います。

その辺りは・・・挫折した私はよくわかる(汗)

どんな世界でも入る前は・・・もしくは親は「才能が」とか「素質が・汗」というかもしれませんが・・・。

実際現場でやっている人間に言わせれば・・・どこまでついていけるか?どこまで忍耐強くこなせるか?どこまで努力して形にできるか?

・・・だと思いますよ。

世界のトップレベルを見てしまうと、本当に怖気付いてしまうんですが、そこで怖気付かずに、食らい付いて行けるか?なんです。

それだけ世界のトップレベルはみんなすごい集中力と精神力、練習量です。

やっていることはわかる。どうすればも頭ではわかる。だけど・・・それを実現することはとてつもない膨大な労力と集中力が必要。

加えて音楽の世界ではテクニック的にもトップレベルでないと大変。

・・・そう思って、普通の人間は尻込みをしてしまうんです。

今ここで走らないと電車に乗り遅れる。でも相当しんどい。しんどいけど走らないと電車に乗れない。

・・・そうやってずっと走りつづている・・・

当然走っている間は他の景色なんて目に入らないし、スマホをいじくっている暇なんてないし、人と話す暇もない。

プロ連中はそんな感じかな?

俺は走れなかったなあ(汗)

駅まで走っている最中に通りがかりの団子屋で「今なら団子50%引!」という看板を見て、つい・・・止まって買ってしまった人間なんですよ(汗)

もう20年も前の話ですが・・・

その昔、自分の生徒でかなりピアノが上手い生徒がいました。

実際、その人は大手楽器店のピアノ講師をしていたのですが、音大は出ていないらしく、試験を受けて講師になれたそうです。

本当に勉強熱心で、他の音大出のピアノの先生よりずっと上手いなあ、と思っていました。

ただ、ある時期、離婚してしまって、その後独り住まいをしていたらしいのですが、大手楽器店のみの収入では厳しいらしく、時々会社を経営している実家に帰って仕事を手伝って収入の足しにしているようでした。

ただ、ある時期からやはり生活が苦しくなってきたらしく、また実家の事業が忙しくなってしまったようで、実家から「ピアノ講師なんてやってないで、実家に帰って事業を手伝って欲しい」と言われたそうです。

本人はこのままピアノ講師で生活していきたかったらしいのですが・・・

私は「短大でもいいから卒業して肩書きがないと、なかなか今後一人でやっていくのは大変だよ。肩書きがあれば自分で教室を開けるだろうし」と言ったのですが・・・。

親はピアノ講師には反対のようで、あまりピアノに魅力を感じていなかったのだと思います。

最後の最後でかなり迷った挙句、私に相談をしてきました。

最後に出た結論としては「しばらく実家の仕事を手伝って、お金を貯めて短大にでも入り直して、もう一度やり直してみてはどうか?」

という意見を言いましたが・・・正直、仕事を朝から晩までやるということは、時間的にはピアノを諦めるほかなりません。

結果、それはピアノ講師及びピアノ人生を辞めるという選択肢になるのです。

やめるにはもったいない実力でしたが・・・これはもう仕方がありません。

若い頃に音大を出ていれば少しは色々違ったのかもしれませんが・・・親が反対であったのならば仕方がありません。

もちろん実際は音大など出ていないピアニストは実は結構います。

ただそこまで到達することはなかなか大変で、年齢等を考えた場合、いつから食えるようになるか、全く不明で不安です。

親の援助や実家に住まわせてもらいながら練習するのならば、それはそれで可能性も出てくるのですが・・・。

最後に本人が言っていました。

「今付き合おうとしている彼がいるのですが、その人と結婚すれば生活が保障されるのでピアノを続けられる。なんとか結婚して続けられないか、考えている」

と言っていましたが・・・私はそこで

「そんなことをして半分、人を騙してまでピアノを続けたいのか?そんな気持ちでいいピアノが弾けるのか?」と言ってしまいました。

本人はしばらく黙っていて・・・そして・・・ピアノを辞めて実家に帰る決心をしたようでした。

多分私の言ったことは正しい意見だったとは思うのですが・・・しかしそう言ってしまったことに苦しみました。

私までもが反対するべきではなかったのではないか?

なんとかなる方法もあったのではないか?

ずっとこの点では悩んで、人の人生を一人、葬ってしまったのではないかと、悩みました。

ただ・・・まあ実家の事業は順調だったので、予想より早く貯金が溜まれば計画性が出てくるのではないか?と思っていました。

それが・・・実はその実家の会社が突然倒産してしまいました。

これは本末転倒で、せっかく自分の人生を犠牲にして、実家の会社の手伝いに行ったのに、意味がなかったことになる。

その後、本人はどうなったのか・・・わかりません。

ひょっとすると、誰かそれなりにお金のある人と結婚できて今では思う存分ピアノを弾いているかもしれません。

しかし、もしそうでないとしたら・・・。

私は一人のピアノ講師を葬ってしまったのかもしれない。

あの時、私は反対しましたが、他に誰もピアノ講師を続けることに賛成した人がいなかった。

それは心細いものです。

と同時に、誰でもいいから適当に結婚すればピアノを続けられる。

その考え、決して悪いことではないと、今は思うのです。

そういう人、多分この世の中、必ずいる。

あれから20年経って、いろんな世の中を見てきました。

正直に言えば・・・

世の中の汚い部分を嫌というほど見てきました。

他人も結構汚いし、そういう自分も結構汚い。

そんなに正直に清く正しく生きている人なんて、そんなにいない。

実際私はあの当時「私だってこの仕事で食っていけるか、わからない。いずれ廃業する可能性もある。ピアノ教室の仕事なんてそんなもんだよ。正直お勧めできない」

そう言っていた自分が未だにこの仕事で生計を立てています。

そういうところに、自分の卑怯さを感じます。

だったら・・・別にピアノ講師を続けるための結婚があってもいい。

今ではそう思っています。

と同時に・・・。

世の中なんて願っていれば、なんとかなるもんです。

そして誰かが賛成に回って応援すれば、どうにでもなったのかもしれない。

あの件以来、私は生徒から相談された時は必ず反対せずに、応援に回っています。

あれが今の私の行動の全て。せめてもの罪滅ぼしのつもりです。

4年前に他界した親父がよく言ってました。

「人生なんてその気になれば、どうにかなるもんだよ」