現在、昼間はクラシックピアノ曲の練習、夜は夜な夜な、ポピュラー自作曲(?)の動機素材の作曲と、シンセとシーケンサーの実習をしています。
シンセというのはこれのことで、なかなか操作が奥深いのですが、その習得にかなり時間がかかっています。
シーケンサーというのはオーケストラスコアみたいなもので、現代ではローランドからこのようなシーケンサーソフトが無料で出ています。
これはすごいことで、昔は数万円出して買っていたソフトが無料でしかも音源も非常に安値で買い足すことができることは驚きです。
ただまあ如何せん、浦島太郎が令和にいきなり来た感じで、なかなか操作が覚えられないのですが、わかってくれば、創作ができるようになると思います。
テスト的感覚でいくつか素材動機を作っていますが、ポピュラー曲の作曲で言えることはですねえ・・・
結局、現代のポピュラー曲はどうしても「刺激」になってしまって、「感動」にならないということです(汗)
わっかりますかねえ?
もっとわかりやすく言えば、「一般大衆品」と「芸術品」の違いですかね?
なので、もしあなたがクラシック曲を「刺激」として捉えていたら・・・多分解釈を間違っている可能性ありです。
クラシック曲はあくまでも「芸術品」「感動作品」であって、「刺激物」ではないということ。
あくまでも「おいしいフランス料理・イタリア料理」であって「コカインやマリファナ・大麻」ではないということです。
ここが自分が若い頃、悩んでいたことでした。
どうやったら芸術品に近い感動作品を作れるかなんです。
難しい話ですからわかりにくいとは思うのですが(汗)
ただ、現代のこういう機材、ソフトはやっぱり無限の可能性がありますね。
チャイコフスキーとかショスタコービッチとか現代にいたら、こっちの世界に流れるんじゃないかと。
ただ、とにかくいろんなJpopからジャズまで最近は素材制作のためによく聞いていますが・・・
あまり芸術的な作品はなかなかお目にかかれないですね。
多分芸術的なのか?それとも駄作なのかは・・・
50・100年後に作品が残っているかなんでしょうけど。
んなこと言ったら、自分なんか死んだら1年後・・・いや1ヶ月後(1日後?)には忘れ去られる存在ではありますが(汗)。
話を戻しますが、芸術と一般大衆品との違い。
私は・・・
芸術はあくまでも「美」を追求することだと思っています。
反論はあるかもしれません。
しかし・・・。
少なくともピアノ曲においては恐らくそうでしょう。
美を追求しない演奏は私は「センスなし」と厳しく捉えています。
全てはセンスの問題。
現代のJpopであろうが、「美」を追求した作品を作ることが私の挑戦です。