クラシック奏者が芸術家だなんて思ったことは一度もない

そんなの自惚れに過ぎない。

宮恵さんが今度この歌を歌うとのことで歌っているところを聞きました。

かなり上手く歌えていてすごいなあと思っていたのですが・・・

この曲自体も歌詞も含めてとても良い曲だなあと思いました。

まあもちろん私はこういう世間で有名な曲を知りませんが(汗)

でも・・・こういう曲すらも作れない自分は何者なんだろうなと、時々考えます。

クラシック奏者なんて単なるコピー演奏じゃん(笑)

それを世間では”スタンダード演奏””カバー演奏”という。

もちろんそのカバー演奏でも優劣はある。でも・・・

自分で曲すら作っていない奏者が果たして”芸術家”なのか?

それって単なるプレイヤーなんじゃ?

私は実はイベールという作曲家はあまり知らなくて、・・・もちろんピアノ曲の曲数も決して多くはないかもしれないけど、この最初の曲はとても素敵な曲だと思う。

こういう曲すらも書いていない自分は何者だろう?

イベールという曲を仮に抜群に上手く弾けなかったとしても、曲の完成度が高ければ、素敵に聞こえるものだ。

そういう素敵な感覚を聴衆に与える曲すらも作れない自分は何者だろう?

ピアノ講師のクラシック奏者が芸術家気取りをすることは本当に時々アホかと思うことがある。

プロピアニストが曲を音楽的に上手く弾けることは当たり前で、上手く弾けなかったらそれこそ、何の価値もない単なるタイプライターでしかない。