クラシックは別に自己主張の場じゃない。ピアニストは芸術家ではなく、単なるピアノマシーンである

世の中には気取ってピアノ講師が

「私は芸術家だ!」

というアホがいるかもしれないけど・・・

それ、間違ってるよ。

クラシック曲を弾くことなんか全然難しいことじゃないし、芸術家でない。

単なるピアノ弾き、もしくは

ピアノマシーン。

正確には

interpritor=解釈演奏者

と言ったほうが良い。

だって・・・正しく解釈すればいいだけの話じゃん。

考えてみてほしい。

あらゆるピアノ弾きの演奏内容がみんなそんなに個別において違ってますか?

本当に上手い人の演奏って、多少の差はあっても大筋、違いはない。

あとはどれだけ作曲家の意向に寸分狂いなく従って本当に感動的な演奏をしているかどうか?

もちろんそれが確かに難しいけど。

それが大胆に違っているというのは・・・それ。単純に・・・

解釈が間違っているだけ。

クラシック演奏は自己主張、もしくは個性の発揮場所じゃない。

もちろん解釈を違って弾いても法律はないので誰も逮捕はされないけど・・・

一般のピアノ弾きはやってもいいけど・・・

ピアノ指導者は絶対やってはいけない。

ピアノ指導者はあくまでも正しい曲の解釈を指導するだけ。それが仕事。

そして・・・

本当に芸術家を名乗りたいのならば・・・

歴代のラフマニノフやスクリャービン、プーランクのように自作自演をしないといけない。

最近発表会の連弾でこの手の曲をやってるけど

John,williamsは現代の映画音楽関係の作曲家だけど・・・本当の芸術家はこう言う人を指すと思うよ。

もちろんクラシック関係者は

「こんな曲は芸術じゃない!。レベルの低い、大衆音楽だ!」

という人はいるかもしれない。

でもそういう馬鹿げたことばかりいうようになったから、クラシックの世界は世間から疎んじられるようになったのだ。

自分で自分の首を絞めて破滅に追いやっている。

当時のラフマニノフも随分音楽界からJohn,williams並みにいじめられていた。

John,williamsも100年後にはどう評価されているだろうか?

私はあとは

この人の作品も大好きですね。

この人もクラシック界では馬鹿にされているけど・・・

100年後はどうなっているだろう?

ラフマニノフもウィーンで演奏活動をしていたショパンもプーランクも当時は随分音楽界から馬鹿にされていたもんだ。

そしてガーシュインとラヴェル、ジャズ界はお互い尊敬しあっていた。

もし、自分が少しは芸術家気取りをしてみたいのだったら・・・

少しずつ、どんなに短い曲でもいいから、自分で作曲して弾くようにしたほうがいい。

それが本当の小さな芸術家。