ピアノは文学でもなければ哲学でもない

まあそんなことはないでしょ!という人いるかもしれない。

でもですねえ・・・

だからと言って文字ばかり並べても何も説得性はないんです。

ヒントとしてはあるかもしれませんが。

まあ確かに昔、ロマン・ロランとかいう文学者が非常にベートーベンの音楽を文章で表していたけど・・・でもだからってあれで音楽が出てくるわけじゃない。

それが価値あるとしたら・・・

もはやピアノレッスンでは先生は模範演奏はせずに喋ってレッスンおしまいでいいじゃないですか?

でもそういうわけにはいかない。

やっぱり最終的にはとにかくも模範演奏をして示さないといけない。

”百文は1音にしかず”、じゃないですか?

私は世間で評判?になっているノイハウスの本なんかなんの価値もないと思っている。

ついでに黒に赤文字の本はもっと価値はない(笑)

とにかく文章で済むのだったらピアノレッスンなんかいらない。

一番良くないのは・・・

文学的なことを書いているロシア講師(?)に限ってとんでもなくピアノが“あれ”だということ。

あれはちょっとしたクラシックファンだったらyoutubeを聞けばすぐわかる。

「なんだあのBOSSの演奏って・・・」。(弟子はそこそこ、あれですけど)

youtubeで演奏が上がるまではみんなあの人の演奏実力はわからなかったはず。

・・・多分BOSSは痛感しているとは思うけど・・・いや痛感していないかな?。

ピアニストやピアノ講師は言葉ではなくて良い演奏を聞かせてなんぼの職業。

私はこれから文章ではなくてyoutube演奏をもっと上げていきたいと思っています。

文章なんか書いたって意味ない。だったら音で示さないと意味ないです。

それが私の残りの人生の仕事です。