有名な国際コンクールともなれば、実態ってこうなんじゃないのか?
・・・っていいうことがここの動画で話しています。
ああ。やっぱりそうか・・・という話です。
英語で喋っているのでわかりにくいのですが、英語字幕が出ますし、ちょっと不自然なところも出てきますが日本語訳字幕も設定で出ますので聞いてみて下さい。
ここで言っているのは、国際コンクールともなれば、才能とかじゃなくて、いかに用意周到の準備が大事か?ということを言っています。
とにかくミスをしないこと。そして新しい曲にはあまり手を出さずに(?)お決まりのルーティーンのレパートリー曲で受ける方が有利だと。
そしてピアノをあくまでも「機械」として扱うこと。
そして自分が『競走馬』になりきること(笑)。
どこぞのロシアかぶれ講師が「ロシアには国家機密のテクニックがあるから優勝者が多く出たんだ!」とかバカでアホな嘘言ってるけど・・・
そうではなくてソビエトという国家が国家体制でコンクールに挑んでいたからでしょう。
それって一時期のソビエトのオリンピック選手と似ている。
優勝しないと選手もピアニストも食っていけない。・・・もっとも北朝鮮のように命を奪われることはないとは思うんですが・・・。
コンクールって本当に過酷で生き残りというか、崖を歩いているというか・・・
全くもって音楽を競っているのとは違うと思うんです。
でも私は常々思っているんですが・・・
ピアノってテクニックが一番大事であって音楽は後なんですよ。
音楽なんて後から色々考えればいいし、そもそも音楽にコンクールでは優劣はつけにくい。
でもですねえ・・・・
現代ではコンクールや音大という枠でピアニストが生まれてくるのですが・・・
その昔はクラシックピアノであってもジャズやポップスと同じように扱っていた時代があった。
あくまでも楽しむ音楽という枠であったんですが・・・クラシックだけはちょっと違った枠になって・・・。
それってひょっとするとジャズやポップスも音大やコンクールで競うようになったら・・・
意外とつまらない音楽になって人気がなくなるかもしれません。
そもそも芸術というものをアカデミック的に考えてしまうとダメになるのかもしれません。
この写真、完全に全身がアートだと思うんですが、これをアカデミックに論じ始めたらダメになると思います。
このままの状態でこの人は生きた方がええ(笑)。