弾かないかなあ?
そもそもストリートピアノはピアノ学習者のためにある。
そしてそのピアノ学習者が日頃の成果を観客に見せてドヤ顔をするためにある(笑)
ピアノが弾けて当たり前のピアノ講師やプロが弾いて「ドヤ顔」を見せてどーすんの?(笑)
そんなことやったら一般のピアノ学習者がストピを気兼ねなく弾けなくなる。
あくまでも一般学習者に譲るべき。
誰もいないんだったら別にいいけど。
もちろんyoutuberが時々弾いてそれをアップしているとは思うけど、それはあくまでも観客を喜ばすための行為。
それはもはや「コンサート」であって自己満足のためでもドヤ顔のためでもない。
ピアノ講師以上はあくまでもホールで弾かなければならない存在。
私はそもそもクラシック音楽とかは一般学習者のためにあると思っている。
何でもかんでも弾いてしまった以上は、正直、それがショパンだろうが、ラフマニノフだろうが、もう魅力をあまり感じない。
もちろん、いまだに弾いたことがない曲だったら、弾いてみたい!と言う衝動に駆られるけど・・・。
そう言う点では今本当は弾きたい曲は・・・ショパンやラフマニノフのコンチェルト(笑)
正直これらは全然弾いていない。
だって・・・伴奏者が必要だから、ギャラや付き合ってもらわなければならない気兼ねの関係上、練習する気になれない(笑)
何度も弾いてしまった曲はもちろんもう一度弾いてもいいいけど、それほど魅力を感じなくなっている。
その曲の秘密とか、魅力とかをすでに知ってしまっているから。
巷でもその曲を誰もがうまく弾いてCDで売られていると、もう魅力が減ってしまう。
だからロシアピアニズムみたいに変な解釈を作り上げて「これが新しい解釈の名演奏だ!」とか言うんだろうけど。
クラシックピアノはあくまでも学習者が初めての曲をトライすることに意味があると思っている。
一度弾いた曲を変わった解釈で弾くことによって新鮮味を探すのはどうかと。
するべきことは「作曲家の意図した正しい解釈で真の良き演奏ができるかどうか」だと思っている。
でもその真の良き演奏でさえもめちゃくちゃ難しい。
そんなのショパンだって「マズルカを満足に弾ける回数は1年に一度あるかどうか」と言うぐらい。
自分のために弾くのか?それとも聴衆のために弾くのか?
ここが学習者とピアノ講師以上の連中の境目だと思っている。