神は本当にいるのかもしれないpart2

あ、ただし、言っておきますがね・・・

神がたとえ存在していたとしても、善神とは限りませんよ?

実は残酷な人かもしれません。

残酷さ、残虐性を持って、その人に知らしめている可能性も・・・あり(汗)

その上で読んで欲しいのですが・・・。

人生長く生きていると、どうしても流れに抵抗しても、その流れに沿っていくしかない時ってないですか?

どうあがいても、結局その流れに行き着いてしまう。

ここが不思議なんですが・・・

人生とか、運命とか、宿命とか・・・

どうもなんとなく初めからある程度決まっているような気がするんです。

自分でその都度選択しているようで・・・いや実は・・・選択させられているというか・・・。

そういうのを「必然性」と言っています。

なんでこういう選択しちまったんだろう・・・と思ってもそれは、なるべくしてなった道であり・・・。

そういう時に、たとえその道で人が死んでもそれはそれ、神のお示し。

神はひょっとすると残酷なので人が犠牲になることを必然性と思っているのかもしれません。

戦争が起ころうが、そんなの知ったことではない。浅はかな人類の行動をとくと見て、知らしめるか・・・と思っているかもしれません。

たとえ、人が薬物に手を出したとしても、それは神がその人に与えた罰で、それによって知らしめる必然性があるのかもしれない。

どちらにしても、後で振り返ると、避けられない選択、道を感じる時がある。

ここが不思議なんですが、あの時こういう選択をした。それからこう言う出来事があった。これをなんだか知らないけど、もらった。買った。

なんかわからないんですが、その全ての点が線となって結ばれる時がある。

ここが不思議なんですがね(汗)

どう言う訳か、全てが「必然性」を持ってやっていたのか(汗)と思う時がある。

結果、全てがこの目標のために動かされていた・・・と思う時があります。

もちろん分かりませんよ?

ただの偶然かと。

いやしかしなあ・・・偶然にしてはなあ(汗)。

そういう時は・・・悪い道でないのであれば、逆らわずに、その流れに乗って・・・。

最善の道なんて分かりっこないです。

あ、ただ・・・惰性とか怠慢で流れに乗っていくは・・・なしですよ。

それやったら多分、神の思う壺(笑)。

仏教ではそれを「因果の法則」と言います。

あくまでも選ぶべき道は

険しい道・・・です。

平坦な道と、険しい道と・・・

どちらを選ぶべきかって・・・

私は「必然的」に険しい道を選んでしまうんです。

もちろん、こう言うふうに言う人間を

単なるカルト人間(笑)

もしくは・・・

「マゾ人間」

・・・と、言うかもしれませんが(笑)。