たとえばなんですが・・・
親は自分が断念したことを子供にだけは・・・と思うこと多々あると思うんですよ。
自分の失敗は子供に同じ轍を踏ませずに歩ませたいと。
それ、ごもっともです。
人生の先輩ですから、自分の失敗を生かして子供に継がせる。
これは子育てですが、そうでなくてもたとえば今度のオリンピックでは体力を過ぎた体操コーチが、自分の弟子にメダルを取らせるために、更新の指導にあたる。
もしくは年齢制限でコンクールに出られない指導者が弟子のコンクールの指導にあたる。
これらはもう当然の如く、正しいと思います。
子育てでも、まさか大学受験まではもう自分がもう一度やるわけにいかないから子供にだけは・・・。
いや・・・それは・・・ちょっと違うかな?
自分が大学受験に失敗したんだったらもう一度、自分がやり直せばいい。
もちろん大学受験が全てではないにしても・・・
医師免許とか、弁護士等の国家資格とか。
この手はたとえ家族がいてもやり直せる。
取りたかったらやればいい。
大事なことは・・・「もう歳だから」とか「もう記憶力がないから」とか・・・
つまり・・・大人は逃げの免罪符を持ちたがることです。
もちろん興味がないんだったら、挑戦し続けなくて構わないのですが・・・。
私もつい最近までピアノについては挫折を味わって諦めてしまいました。
ホールにまで出かけて収録に挑戦したんですが・・・うまく演奏できなくて・・・。
そういう時、言い訳を考えたがる。
言い訳はさまざまですね。
でもそこに大人は正当性をつけたがる。
そんなこと、あなたにはないですか?
自分は職業ピアニストになってみたかったですね。
まあ職業にでなくとも、満足できる演奏ができないかと。
自分の弟子にはなかなか専門家を目指す人は少ないし、なったとしても職業音楽家を目指す人はかなり少ない。
そういう時は「自分が代わりに頑張ろう」という気になるもんですが・・・
つい最近・・・声楽科でしかもプロのJPOPの歌手を本気で目指している生徒がいます。
本当にびっくりするぐらい歌がうまい。
いつかあの子がプロデビューするのは運もあるだろうけど、時間の問題。
こういう生徒が身近に出てくると・・・もう私も歳なんでしょうか?
あまりの嬉しさに「あーもう俺、いいや。ここいらで諦めるか。。。」
と、弱気になる(笑)
なんでしょうかね?
なんかこの生徒に自分のプロになりたかった夢を託してしまうんでしょうね。
これが・・・ああそうか・・・親や指導者の気持ちかと。
間違っちゃいないです。
その気持ち、よーくわかる。
あとはその生徒がうまくいくためにも、色々とできることは全面的に協力する。
でも・・・待てよ?
どっかに何がしかの「逃げ」はないか?
別に逃げても良いけど・・・なんか簡単に自分を諦めちゃいないか?
自分が成し遂げようとしたことを、どこかで正当性を主張して逃げちゃいないか?
「あと一歩だというのに・・・そこで諦めるか(汗)」
「弟子は弟子。お前はお前。」
・・・という神の声が聞こえる・・・・
いや・・・神じゃなくて亡くなった父や母の声か?
・・・いや、母はまだ生きてて施設に居たんだった(笑)親父はそんなこと言う性格じゃない(笑)。
「とっと諦めたほうがいい」と言うに決まってる(笑)。
ここで諦めたら、何でもかんでも「才能」とか「素質」という言葉で片付けてしまう自分がいる。
結局残るものは・・・気力か・・・(汗)。
自分が作り上げたかった作品をなんとか完成させないと。。。
職業ピアニストはみんなこういう道を歩んでいるのか(汗)
大した精神力なもんだ(汗)