クラシック演奏に個性なんていらないじゃん!

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まあなんて酷いこと言ってるの!クラシック演奏に個性がいらないだなんて!

個性がない演奏なんてクラシックじゃないわ!

・・・え?・・・そうですか?

あなたは多分”クラシック音楽”というものを実は理解していないのでは???

その前にまずはこれを聞いてください。

ショパンのソナタを知っている人ならこの演奏に驚いた人はいるでしょう。

はい、楽譜をかなり無視した演奏です。

でも素晴らしいです。

でも無視しています(笑)

あなたはこの演奏を”あり”と考えますか?

まあそれもいいでしょう。

でもこれはあくまでも”ラフマニノフ”という天才作曲家が残した演奏です。

ショパンの全てを知り尽くした作曲家ラフマニノフの演奏です。

彼はショパンを知り尽くしていたのです。

知り尽くした人が編曲した演奏なので、実は編曲してるけど、ショパンの美しさを100%伝えています。

しかし、もしこれがショパンをまるで分かっていない人による演奏だったら・・・。

はい、実は1900年代初頭にはそういう人の演奏ばかりが蔓延っていた時代です。

記録はあまり残ってはいませんが

多分こういう演奏はかなりあったはずです。

これもその一人でしょう

そして・・・人々は「これではいかん!」と言い始めて・・・

1950年にショパンコンクールが始まったのです。

本当の伝統的な本物のショパンの演奏とはなんなのか?

・・・ということを問うために。

とある指導者が

「クラシック音楽を個性的に勝手な解釈で好き勝手に弾かなかったら意味がない」

と言っていますが・・・それは・・・

もちろんラフマニノフのような名演奏家ならいざ知らず・・・下手なピアノ弾きが下手で個性的な演奏などしたら・・・たまったものではありません。

ここで大事なことがあります。

もしも構成的に楽譜の内容まで変えてでも弾きたいのならば、現存の曲の解釈を変えるのではなく・・・

そしてそれを・・・ラフマニノフはやっていたわけです。

そう考えると作曲家ラフマニノフは多少こういう編曲チックな演奏は許されるとは思います。

なぜなら彼はショパンの音楽を100%表現し尽くしている上での編曲的演奏だからです。

実に違和感のない演奏だと思います。

問題は・・・

クラシック音楽はその楽譜通りの解釈をして本当の演奏をすれば十分素晴らしい演奏になるのです。

学習者はまず、その曲の正しい解釈で弾くことを目指して欲しいのです。

しかし巷ではそれができない演奏家が多いし、自分も含めてそれに悩んでいるのです。

ショパンでさえ言っていました。

「私は1年のうちで満足できるマズルカの演奏は数回しかない」と。

本当に作曲家の意図通りの演奏ができたらおそらく誰もが感動して聞いてくれるはずなのです。

それができないうちに勝手な解釈による演奏は許されるものではないです。

加えてそれが教育者であれば(例え某重力または某ロシア奏法指導者であっても)完全に犯罪行為です。

あくまでも曲の正しい解釈を目指して本当の演奏を目指す。

それができる世界的な巨匠ならば次にそのような個人的な解釈による演奏は許されるでしょう。

しかし実際巨匠たちはそのような演奏は絶対しません。

なぜならどの巨匠も作曲家の意図を組むことこそが”クラシック音楽”であると分かっているからです。

もちろん真剣に解釈を考えた末「この作曲家はこう考えたに違いない。間違いない」

と考えるのならば、それはまた他の人と論議をして作曲家の意図を探ることは良いし、それによって意見に相違ができたのならばそれは良いと思います。

しかし自分の個性を出すため、自分が目立ちたい為、自分が弾くことに意義を見出したいために勝手で個性的な解釈を作るのなら・・・それは自分で自分の曲を作って弾いて下さい。