クラシック音楽は今後どうなっていくのか?

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クラシック音楽は今後どうなっていくのか?part1

現在クラシック音楽界はかなり下火です(汗)。

なぜかというと・・・それはもうすでに作られた過去の大昔の音楽であり、現代の音楽とあまりマッチングしません。

当然のことですが音楽市場のニーズのウェイトを握っている現代の若者にクラシック音楽はあまり流行りませんし、あまり理解されてはいません。

もちろん、専門にクラシック音楽を勉強してきた我々はクラシックの特にピアノ曲の長所はよく理解しています。

ではなぜクラシックピアノは流行らないのか?

別に廃れているわけではありません。

実際、数が少なくとも、例えばクラシックピアノを聴いていて、そしてクラシックピアノを習っている若者はいると思います。

ですが、そのクラシックピアノの習得すべきレベルがあまりにも高すぎるのです。

例えばショパンのワルツ集や幻想即興曲を上げてみれば・・・

速い曲においては、通常ならばとてもCDやyoutubeのように速く弾けません。

そう、つまりテクニック的に遥かに難しい。

ショパンやリスト、ベートーベンの速い曲を弾けるようになるためには、習得が大変で特殊なテクニックを習得しなければなりません。

加えて、これらクラシックピアノの音楽性は時に難解なレベルです。

それが世にいう”芸術”なのですが、その芸術のレベルの高さゆえ、なかなか一般には理解しにくい点があります。

例えば、5年に一度、ワルシャワで行われる”ショパンコンクール”

youtubeで検索すると出てくると思いますが、これを聴いて、どの人の演奏が良くて悪いのか?おそらく通常ならば判断に迷うはずです。

それが”芸術”というもの・・・と言って仕舞えば簡単ですが、そこが一般人に受け入れ難いものがあるのは事実です。

それゆえに一般大衆からは支持されないという要因になりやすい。

つまりテクニックの難しさと、内容の難しさ、それらが一般人からクラシックピアノを遠ざけてしまう原因と言って過言ではないと思います。

また、現在クラシックの作曲家で世界的なヒットを飛ばしている作曲家はあまりいません。

おそらく世界的なヒットを生み出した作曲家はラフマニノフを最後に途絶えてしまっている気がします。

もちろん、他にも、クラシック作曲家はいますが、そのほとんどはヒットを産んでいません。

つまり、誰もが知っていて思わず演奏したくなるクラシック曲集が現代はないのです。

そうなると過去の作曲家たちが作ってきた曲を演奏するわけですが、同然の如く、その球数は限度があります。

ショパン好きだったら、その全ての曲を知っている人は珍しくはないでしょう。

ですが、残念ながら、ショパンはすでに死んでいるので、例えば”バラード5番”や”スケルツォ第5番”はもう出てこないのです。

当然新しいノクターンも出てきません。

全てのショパンを聞いてしまうと、それでおしまいなのです。

そうすればほかのジャンルの作曲家に目移りするのは当然です。

もちろんそんなこと言ったら・・・ビートルズももう、新曲は出てきません。

ですが・・・UK-POPはUK-POPでどんどん新しいアーティストたちが新曲を生み出していますが・・・

一方クラシック業界ではそれはありません。

そうならないためにも、現代のクラシック作曲家が、あらゆるヒット曲を生み出す必要があるのですが、業界ではそういうことは起きません。

おそらく”芸術性の追求”に頭が逝っているのが原因でしょう。

そして現代人には理解しにくく、かつ遠ざけられてしまう”現代曲”が残るわけです。

しかしそんなに芸術って大事でしょうか?

もちろん人間が生み出した宝物と言えば、貴重な感じですが、その代わり、ほとんどの人が理解できないような難解レベルが果たして人のための芸術なのか?私は疑問です。

これはピアノ講師の仕事をしている私も含めてクラシックの仕事に携わっている人全員の責任でしょう。

ではこのままクラシックピアノなどの産業は廃れてしまうのか?

多分それはないと思います。

どの時代になってもピアノを習いたい人、クラシックピアノが弾けるようになりたい人は途絶えません。

ピアノを弾けるようになることは大変難しいことなのですが、それを指導する仕事はおそらく無くなりません。

なので、ピアノ講師という仕事はいつの時代にもあるとは思いますが(その仕事で食えるかどうかは別として)、一方でピアニストという仕事はどんどん淘汰されていく可能性があります。

”オールショパンプログラム”・・・というコンサートを開いても、特殊なピアニストによる演奏でない限り、誰でも同じ、という感想を持たれかねません。

1番の原因はクラシックピアニストにおいては”アイデンティティ”(個性的なもの)がかなりないのです。

もちろん実際はあるのですがそれがレベルの高い芸術性がゆえに、わかりにくいことが多いのです。

なので誰が弾いてもショパンは同じ・・・と思われてしまうのは当然なのです。

そして「それは本当は違う!うまい人が弾いたら全然違う!」というのも事実なのですが・・・

そういうことよりも、できれば新曲のクラシックピアノ曲を弾いて披露した方が、一般大衆には理解や支援、人気が得られやすいのです。

クラシックの業界はどんな時代にも必ず残ります。

ですがその世界はどんどんマニアックな世界となってごく一部の少数の人たちのための世界になりつつあります。

それが”芸術”であり、万人に受け入れられる必要性はないと言えばそれまでですが・・・。

私は、ピアノ指導を仕事にしている人間ですが、このクラシック音楽業界を生徒に進路として勧める気にはなりません。

正直、あまり先が見えない進路ですから・・・。

でも趣味で習う分には全く異論はないのですが・・・。


クラシック音楽は今後どうなっていくのか?part2〜車にATがあってなぜピアノにもATがない?(笑)〜

クラシックの難しさは以前も述べた通りですが、思うんですが、その難しさはにやはり、読譜やテクニック的にかなり難易度が高いというのも理由の一つだと思います。

まずなんといっても幼児がピアノを簡単に習得できるか?

これは”NO”です。

譜面を読めるようになることがどれほど難しいことか?

これは指導者だからよくわかっていますが、子供が読譜力をつけること自体がかなりの難易度の高いレベルです。

そしてこの読譜力がなんとかクリアしたとしても・・・次にテクニックの問題が立ちはだかるのです。

速い曲を苦労なく弾けるためのテクニック・・・これがまた習得が難しい。

そしてそのテクニックのために特別な”重量奏法”という習得が鍵となるのですが・・・これがまた習得が大変(汗)。

そしてそれがなかなか取得できないために変な◯◯ア・オカルト奏法とかいうインチキな奏法屋まで出る始末(笑)。

でもそれだけこのテクニックの習得が難しいんです。

考えてみたら本当は音楽の習得をしたいのに、その前のテクニックでどうにもならない(汗)

音大入試やコンクールでも要なのは実は音楽ではなく”テクニック”。

これが現実です。

でも本当は音楽を論議したいはずなんです。

だからと言って・・・じゃあテクニックを無視したらどうなるか?

残念ながら”音楽”を表現できません(汗)。

つまり、完璧にテクニックがなければ音楽の表現が難しいのです。

〜車にATがあってなぜピアノにもATがない?(笑)〜

車って以前はマニュアル操作が普通だったんです。でもいつの時代か?AT(オートマチック)が主流になりました。

アクセルを踏めばいいだけなので楽になりましたが、一方でマニュアルを操作できることは難しい、という印象になりました。

同じようにピアノにもATがあっても良いのですが(笑)残念ながらそれはありません。

例えばパワステのようにちょっと鍵盤に触れただけで音が出るとか、右手と左手、別々に弾いて後で、一緒に演奏してもらうとか。

はたまた、パソコンでスピード、音量、全てのデータをピアノにインプットして自動で演奏してもらうとか。

実際、これらは現代の技術では可能です。

ですが、今の時代、それはせずにやはり自分の実力でピアノは弾かなければならないことになっています。

これがピアノに対してのハードルの高さです。

おかしな話に聞こえますか?

いいえ、そんなことはないと思いますよ。

それだけピアノは難しい楽器になってしまいました。

誰もが演奏できるわけではないのです。本当に一握りの人達のための楽器です。

でもそれって本当はおかしくないですか?

誰でも楽しめる方は良いに決まっている。

もしもピアノ人口を増やしたかったら、このあたりの問題を解決しなければ、増えません。

私も20代の頃、あまりのテクニックの難しさに、シンセサイザーでピアノ演奏をデータで全てインプットして演奏させるという実験をやっていました。

実際それは可能だったのですが、細かいニュアンスの表現は不可能でした。

でも現代では科学の力でそういうことを可能にしたほうが良い。

そもそも音楽を表現するために、難易度の高いテクニックを習得しなければならないこと自体が遠回りで馬鹿げているんです。

クラシック音楽は他のジャンルと比べると(ジャズは分かりませんが)遥かに高いレベルが要求されます。

このままではどんどんクラシックピアノ人口は減っていく一方です。

もちろんどんな時代にもクラシックピアノを習う人は減りません。

ですが、プロを目指す人はそれほど増えはしないと思いますし、目指すこと自体が難しくなります。

ここから将来のクラシックピアノの将来は見えてくるのではないかと思っています。

その話は次回に。