2005極寒ベルリン、プラハ旅行記インデクス

NO IMAGE

2005極寒ベルリン、プラハ旅行記インデクス

  1. 成田空港にて
  2. コペンハーゲン空港にて
  3. ベルリン1
  4. ベルリン2
  5. ベルリン3
  6. プラハ1
  7. プラハ2
  8. プラハ3
  9. プラハ4
  10. プラハ5〜テスコにて

極寒ベルリン、プラハの旅

2005年11月下旬、私は一人単身でベルリン、プラハへ乗り込みました。

今回はベルリン在住の大学の同期の友人に久しぶりに会いにいくためです。

ベルリンへ留学してその後、地元の音大で既に講師としてピアノ指導に当たっている友人は、既にベルリン人として地元に溶け込んで生活しているようでした。

まあしかし、経済大国日本とは違って貧しい生活をしているんだろうなあという予想とは打って変わって・・・?まあ、その辺りは後ほど述べるとして・・・。

さて、海外に旅行に行くということは多額な資金がかかります。最もかかるお金は飛行機代でしょう。これが一番のネックです。

海外航空券というのは季節によって金額が違います。一番低い金額はヨーロッパの場合、11〜2月が最も金額が低い。

これは単純にヨーロッパが冬はかなり寒いために旅行者が極端に減るためです。

私はそれを当て込んでいつもこの時期に旅行に行きますが、いやあ、それでも高いんです。

しかも、現在は航空燃料費が原油高のために、特別に上乗せされており、それを含めて成田からヨーロッパまで往復航空費は、総額83,000円。

これ、それでも今の時期は破格の金額なのですが・・・。

もっとも、もっと安い飛行機はあります。イラン、イラク航空、イスラエル航空、インド航空、エジプト航空、パキスタン航空、中華民国東航空、ネパール国営航空・・・

その中でも、よく利用される航空、ア●ロフロートをあなたは知っていますか?

そう、ロシアがソビエト時代からある航空会社です。

この飛行機会社、かなりヤバい会社です。

随時墜落しているのはもちろんのこと(以前パイロットが自分の5歳の子供に飛行中、操縦管を握らせて墜落して、乗組員全員死亡というニュースがありました)エンジントラブルで離陸が12時間遅れるのはしょっちゅう(12分ではありません!)。座席のベルトが壊れているのでスチュワーデスに文句をいうと「離発着の時に前の座席をしっかりつかんでいてください」とか、機内食が人数分足りなかった時にスチュワーデスがたまたま乗り合わせた日本人に「隣の人と分け合って食べてください」と言われたとか・・・ちなみに隣の人とは赤の他人だったそうな・・・

私は本当は、今回ロシアに旅行にいってみたかったのですが、現在ロシアは民主主義国家になったとはいえ、まだまだあらゆる面で国家主義な部分があって、まだまだ旅行社にとっては旅行しずらい国なのです。

そんなエキゾチックたっぷりなアエロ●ロート、確かに安いんですが・・・

そんな、●エロフロート、おーっと!成田にて発見!

思わず、望遠カメラで撮ったので、まるでスクープ写真のように、ぼやけていますが・・・

機体は意外とピカピカだったんですが、何やらエンジン周りに整備車がずらりと・・・またエンジントラブルですか・・・くわばらくわばら・・・。

さて、今回利用した飛行機はスカンジナビア航空。ここからコペンハーゲンに飛んで、そこからベルリンに乗り換えで行きます。

コペンハーゲン空港にて

コペンハーゲンとはデンマークの首都ですが、デンマークも含めて北欧に旅行に行った人なら分かると思いますが、とにかく北欧は物価が高い!

まず、空港内レストランで、ちょいとコーヒーとハンバーガーでも・・・と思って店の値段表を見ると・・・ゲ!日本円でしめて950円・・・仕方ない、まずはキオスクでペットボトルでも・・・250mlで450円・・・しかたない、紙コップ方式の自動販売機でコーヒーでも飲んで我慢しよう・・・フー300 円・・・

しかし、この自動販売機、なぜかコインを入れても、うんともすんとも言わない。

ああ〜壊れてんだこの機械!300円飲み込まれた〜。

全くもって踏んだり蹴ったりで、仕方なくベルリンまでの飛行機が出るまでコペンハーゲン空港でひもじい思いで待つことに。

レストランでは、北欧人たちがおいしそうにサーモンの盛り合わせ料理を食べながら雑談をしている。日本円で換算するとざっと3〜4000円であろうか?

もちろん、北欧人の現地での物価では多分1〜2000円なんでしょうが。

私は海外旅行に行く時は、 なるべく高い買い物をしないようにしています。

海外の物価は日本より低い国が多いものですから、無理をして高い買い物をしなくても大丈夫なのですから。

それにとにかく高い飛行機代との差額を埋めるにも、こういう心がけは大事なことなのです。

C4
c5

コペンハーゲン空港内

飛行機はスカンジナビア国内線では良くありがちなプロペラ機

ジェット機とはまた違って楽しいものです

C3

まあ、それでもこちらには奥の手がある!

たぶん、コペンハーゲンからベルリンへの国内線では、簡単な軽食が無料で出るはずだ!

それまで我慢しよう・・・ところが!これが後でこけるとは・・・

さて、いよいよベルリン行きの飛行機へ。

さて、ここで誤算が生じてしまった。

機内に入って、さあ!そろそろ軽食かな?と思ったら、何やら機内放送で「エコノミークラスはサンドイッチ3ユーロ、コーヒー2ユーロ・・・」といっている様な・・・。

んなまさか!

しかし、これが本当であった。近年ではヨーロッパ航空会社は大変な赤字続きで、あちこちコストダウンを余儀なくされているらしいのですが、まさかそれがこの軽食に出るとは!

予想どおり、ファースト、ビジネスクラスには軽食がでて、エコノミークラスは有料で!という形でした。もちろん、お金を出してまで食べている人は、エコノミーではごくわずかでした。

時刻は日本時間に換算して既に午前3:00。空腹のあまり、とうとう私はお土産用にコペンハーゲンで買っておいた高級チョコレートを食べてしまいました。

おのれ〜スカンジ!こうなったら防寒用に配られたひざ掛け毛布を戦利品として持ち帰ってやる!・・・とばかりにバッグに潜り込ませて、そ知らぬ顔でベルリン空港到着を待った私であった(注、これはフィクションです)

待ちに待ったベルリン

ベルリン空港について、いよいよ大学時代からの友人との再会です。

電話やメールでは連絡をとっていたものの、本人との再会は確か15年ぶりなはず。

もしや、あいつ、ハゲでデブになって昔の面影なんでこれっぽっちもないんじゃなかろうか?・・・という不安をよそに、なあんだ!全然変わっておらんな!という感じの友人がいました。

(しかし、間違いなく第3者からの目で見れば、単に中年男が二人いるだけなのだ!

自分達は大学時代に戻っているようだが・・・)

さて、多分学生時代と変わらず、ボンビー人だろうから、車は旧東ドイツのオンボロ車だろう・・・と思っていました。

b33

こういう車に乗っているんだろうと思っていました。

ちなみにこの車は旧東ドイツで使われていた車ですが、排気ガスがかなり劣悪な成分で、空気汚染がひどいとのことで、現在では製造されていません。

ちなみに、この車、エンジン音を聞いて分かったのですが、ななんと!2ストロークエンジンでした!・・・つまり、昔の50ccスクーターなどに使われていたエンジンです。

多分排気量は1〜1.3Lといったところでしょう。ということは燃費は・・・おそらくリッター4kmぐらいでしょう・・・

ところが友人が乗っていた車とは・・・

c6

友人が乗っていたのと同じ車ですが、この車を見た直後に私の口から出た言葉は「おい!お前どこでこの車かっぱらってきたんだ!」

しかも、新車で買ったというじゃあありませんか!

おいおい!俺は今まで新車なんか買ったことがないんだぞ!

しかも後で調べてみると、日本でいうスバル、レガシーに匹敵する性能の車・・・最高速度は裕に230km。

この日本とドイツ在住の友人との経済格差。なんなのこれ?

驚きはこれだけじゃあありませんでした。

B17
B18

高級住宅地をうろうろしているんで、いろいろ回って見させてもらってんだなと思ったら、突然車を止めてすたすた歩いていくじゃあありませんか?

「おいおい、おまえん家はこんなとこじゃあなくて、スラム街みたいなとこだろ?空き巣の下見か?」と言う言葉を尻目に、まるで麻布か白金台のような高級アパートの中に入っていくじゃあありませんか!

通されたアパートは!ななんと、玄関のたたきにして既に5帖ほどの広さ!

なにこれ?俺のマンションの自分の部屋は、丁度この広さなんだけど?・・・。

全体の広さはざっと300平方メートル。(分かる人ならこのすごさは分かりますよね。てっきりアラブの成り金御殿かと思いましたよ)

この一等地でこれだけの広さのアパート、日本だとおそらく家賃は60万は下らないはずです。

そして、さらに驚きは続きます。

ここまで贅沢してんだから、ピアノはぼろぼろのヤマハピアノか?・・・とおもいきや・・・

y3

スタインウェイ・・・。

日本で中古で買ったとしても約600万・・・

ほとんどジェラシー・・・ しかも80年前のビンテージスタインウェイ!

ドイツの80年の年月を感じさせる非常にノスタルジックな音が出ます!

この経済格差は、つまり、物価の違いです。

とにかく日本と海外とではあまりにも物価の違いが大きすぎるのです。

もちろん、海外旅行を通して物価の違いは感じることは多々ありましたが、このように友人宅を訪問して初めて本当に実感してしまいました。

多分私と友人と、多少の差があっても、さほど収入が大きく違うことはないでしょう。しかし、実生活はアラブ成り金とスラブ街居住者ほどの違い。

単純に、友人のような生活をするとなると、日本では多分2千万円以上の収入がなければやっていけないはずです。

しかも、友人は週休3日と言うではありませんか!

あたしゃ最近ようやく「月月火水木金金」から週休1日に移行したばっかりだというのに!

つまり実質4日稼動で、この暮らしがドイツではできるということです!

日本は経済大国、といいますが、それは会社であって、日本住民は、おそらく発展途上国並の(しかもその中でも下に属する)生活ということなのです。

やれやれ・・・

ベルリン観光

朝早くから、この高級住宅地を散策しました。

b9
b13
B25
B26
b10
b14

中には日本の公団風の建物もありましたが・・・

b15
b32
b8

中にはまるで、お城の様な家も・・・

このあたりの家は全て、100年前に作られたものらしいです。

この近辺、別に観光地でもないのに、なかなかしゃれた家がたくさんありました。

すべての家がこのように何気なく、100年前に作られて、それで現代をもってしても全く古さを感じさせない。

どうしてなんでしょうね?

日本にある「古くてダサイ家」「新しくてかっこいい家」が存在するってなんなんでしょう?

私が思うに所詮、練りに練って良く考えられた素敵なデザインは100年たっても素敵であり、そもそもそれが本当のデザインなのだろうと思うのです。

つまり飽きられるデザインは、その場しのぎの良く考えられていない即席のデザイン。

同じ事は、たぶん車のデザインにも言えそうですね。

そしてそれは、クラシック音楽にも・・・

既に100年以上たっているクラシック音楽は、やはり少なくとも私にとっては色あせているとは思えない。

というより、最近の流行している音楽が決して悪いとは思わないが、ずっと聴いていたいとは思わない。飽きるのは時間の問題だと思ってしまう。本当に、良いと思う音楽はごくごくわずか・・・。

人を感動させるってなんなんでしょうね?

そしてそれは、次の旅行地、プラハでさらに考えさせられてしまうのです。

ベルリンにはそれなりに見るべき建物は多いのですが、どちらかというと、観光都市というより、様々な博物館、美術館、演奏会場に行くという内容が多いと思います。

またどちらかというと、古い建物も残ってはいるのですが、残念ながら、ここベルリンは戦争の空襲の為にかなりの史跡が破壊されてしまったらしく、史跡としては、あまり残っている方とは言えませんでした。

ただ、町中の建物は全て、昔からの建物でその中に様々な店鋪が入っており、店鋪と建物がうまく調和されているなあと思いました。

散歩するだけでもとても楽しい。

特に有名ブランドの通りはなかなかの見栄えでした!

また、ブランドショップにやたら日本人がたかっていない所が良い!

なんたってベルリンにはほとんど日本人観光客はいなかったですから!

b27

GUCCI・・・

なんか買い物をしているご夫人の隣で旦那がグチをいっているような・・・

b30

CARTLER?CARLTON?

たばこのメーカーだっけ?

b29

CHANEL?CHANNEL?

日本のショップチャンネルのベルリン支店でっか?

b28

BVLGARI

ヨーグルトのメーカーだっけ?

b31

地元のメーカー

B21

有名なブランデンブルグ門

B23
B22

ここベルリンは、実は他の観光都市と違って、戦争中にひどい空爆を受けた都市です。

そのため、あちらこちらにそのまま傷んだ建物を残しています。

ちなみにこれは虫食いじゃありません!

銃弾の後です。

これらの銃弾の跡がいつ作られたか知りませんが、たぶんソビエトがベルリンに侵略して市街戦が、たしか行われたはずですが、その時の跡でしょう。

b3

たとえ残っていたとしてもこのように傷んでいる建物も多い

これは教会ですが、この中で演奏会があり、聴きに行きました。

曲はバッハのカンタータとオルガン曲でした。

b1

荘厳な雰囲気の中での演奏会・・・しかし、一応これはミサなのです!

b2

教会だからって、暖房が効いているわけじゃない!

この日は本当に寒かったのですが、こうして動かないで聴いているのはしんどかった!

b5

ちょうどオルガンがある所で楽団が演奏

ちょっと驚いてしまったのですが、立派なホールではなく、こじんまりとした教会でのマイナーな演奏会でしたが、演奏はびっくりするほどうまかったのです。

バッハ、カンタータは楽団、独唱、どれをとっても文句なしでした。

こんなにうまい演奏家がベルリンにはうじゃうじゃいる。

とてもショッキングでした。日本は絶対にまだまだこんなレベルではない!

・・・次はいよいよプラハです

ベルリンからプラハまでは鉄道で移動です。時間にして約4時間

いよいよプラハに乗り込みです!

ここプラハは以前来た都市です。

非常に街の建物がどれをとっても歴史を感じさせます。

p10
p1
p12
p13
P30
P29
P26
P27
P28

この奥にスメタナが作曲をしていた家がある

p16
p17

昔、この都市を訪れた音楽家は多い。リスト、モーツアルト、ブラームス・・・

また、ドボルザークやスメタナはこの地で作曲活動を行っていました。

その当時の町並みが全く変わらないまま、現在に至っています。

この街を歩く事が、彼等が毎日の生活の中で、同じようにこの道を歩きながら暮らしていたのと同じなんだなあと思うと、感激します。


ドボルザークが作曲活動をしていた屋敷を訪れてみました

D1

ドボルザークの屋敷

D2

ピアノはベーゼンドルファーでした。

スメタナが作曲活動していた屋敷はカレル橋のすぐそばです

p1

スメタナの作曲屋敷から見えるモルダウ川

p2

スメタナが使っていたピアノ

p4

町中を歩いていると・・・ん?ブッシュのポスター?

よく見ると、顔に×が・・・

おやおや、ここプラハでもどうやら嫌われているようで・・・

p6

プラハは第2次世界大戦後からベルリンの壁崩壊までは、共産主義国家でした。

共産主義時代の建物は何となく分かります。

つまり、非常にダサイ。そして灰色。

共産圏時代は多分、様々な点でみんなやる気がなかったんだと思います。

ホテルマンも比較的冷たい人たちが多かったかな?愛想が悪い人が多い。

ただ、どういうわけか町中にいる失業者らしき人たちはものすごくフレンドリーな人たちが多かった。

プラハでは昔からの建物を大事にしています。

このビルも補修をしていました。

ヨーロッパでは駐車場というものはなく、みんな路駐なのですが、これが又みんな縦列駐車ですごい!

渋滞じゃありません!路駐です。

こういう隙間もすぐ埋まる。

日本のお巡りがいたらさぞ喜ぶでしょうね!

プラハ市民は世界一の縦列駐車のテクニシャンなんでしょうが・・・これって出れんの?

謎の東洋人

item1

私は旅行に出ると何故か中国人か韓国人にどうやら間違えられるようだ。

確かにメガネをかけるとそう見える。

例えば以前、中華航空でローマに行った時、機内には日本人と台湾人が乗り合わせていたのだが、どのスチュワーデスも私には台湾語で話し掛けてくる。他の日本人にはきちんと日本語で話し掛けて、台湾人には台湾語で話しかけているのにだ!

また、以前オランダに行った時に、アムステルダムの駅で、どうやら観光案内で困った韓国人であろうか?私を見つけるや否や、ラッキー!とばかりに駆け寄って来てハングル語で話しかける有り様である。

近年では、日本人だけでなく、韓国人や中国人もかなり海外旅行に来ているので単純に日本人なのか、韓国や中国人なのか簡単に判断は出来ない。

今回も間違えられるかな?と思いきや、どうやら今回はなんとか日本人として通用しそうだなと思っていました。

ところで今回泊まったプラハのホテルですが、季節外れという事もあって、日本人観光客はとても少なかったのですが、ホテルにはスーツ姿の日本人がいました。多分仕事で来ているのでしょう。ビジネスで来ているから、気軽に話し掛けるのはまずいだろうなと見ていたら、「地球の歩き方」というガイドブックを見始めたので、「あ!仕事もかねて観光もしているんだな」と思い、気軽に話し掛けたら「あれ!?あなた日本人だったんですかぁ!?てっきり韓国人か中国人だと思いましたよ」と言われてしまった・・・。

さて、ホテルでは通常チェックインをする時に必ず住所を書かされるのですが、私としては国外で住所は知られたくないので、いつも適当に書くのです。3-2-10 oraaーnemui hayaku、mesiwokuitai-city japan とか・・・

どうせ、日本語なんか分からないでしょうし。・・・と適当に書いて、最後の「japan」を汚い字で書いて、出しました。ホテルのカウンターの人はちょっと読めなそうな顔をしていましたが「ok」と行ったので大丈夫かなと思いました。帰りにチェックアウトした時に、受け取ったレシートにはJAPAN ではなく「Hong Kong」=香港と書かれていました。

これで今までの旅行経験ではとうとう全戦全敗となってしまったようだ。

プラハの夜景〜ドンジョバンニの街〜

あなたはモーツアルトのオペラ「ドンジョバンニ」を知っているだろうか?

このオペラ「ドンジョバンニ」はここ、プラハで最終作曲され、初演されましたが、おそらく、モーツァルトはこのプラハの夜景を散歩がてら楽しみながら、おそらく作曲したに違いありません。

プラハの夜道は真にこの「ドンジョバンニ」に恐ろしいほどにぴったりな雰囲気です。

pn1
pn3
pn4
pn7

一見おっかなそうですが、いたって治安は100%安全です。

pn8

いかにも強盗が出てきそうですが・・・いるのは北朝鮮工作員風の一眼レフを持ったこの・・・中年オヤジの私だけです。

pn12

自分はモーツァルト!・・・と思わず錯角を起こしてしまいそうな雰囲気の中世の通り

pn5
pn9
pn13
pn11
pn10
pn6
pn15
pn17
pn18
pn20
pn21
pn16
pn14
pn22

次のページへ

2005極寒ベルリン、プラハ旅行記インデクス


テスコでジャパンマネー炸裂!

pn23

プラハ中心地にある大型スーパー

「テスコ」

私は仕事柄、良く生徒からお土産をもらう。ディズニーランドに行って来ましたとか、九州に行ってきましたとか、温泉宿に行ってきましたとか・・・

いつもそうやって生徒からお土産をもらいっぱなしなので、たまにはお返しをしないと・・・というわけで、いつも海外旅行の際はドバッとお土産を買うのだ。

しかし、その土産物の数ときたら、半端ではない。

なんたって私の教室の生徒数ときたら、約60人である。

まあ全員ではなくとも、その他にやれ友人、親戚も含めると、少なくとも50〜60人分ぐらいのおみやげが必要になる。

しかも、ああ、そういえば、あの人からはしょっちゅういろんなものをくれるなあ。じゃあ、今回は多めに買ってあげようかな?・・・と変な気遣いをおこしてしまう。

単純に単価が高いものを買えば良いはずなのだが、頭が回らないせいか、単純にバカなのか?豪華に3品ぐらい買ってやろうと考えてしまう。

人数分が人数分なだけに、なるべく安いお店でドバッと買った方が効率が良いと考えるのだが、やはりそうなると大型スーパーである。

ここプラハには、そのおみやげの買い出しにうってつけな大型スーパー、テスコがある。

海外旅行でいつも買うものといえば・・・そう!値段の手頃な板チョコレートである!

考えてみたまえ!板チョコを約50〜60枚!しかも、ちょっと豪勢なでかい板チョコを50〜60枚!カートに、てんこ盛りでぎっしり積んでレジに向かうのである。

レジのおばさんは呆れた顔をするし、回りのお客は笑いながら私を指差すし・・・

一応、英語が分かりそうな若者にたいしては一生懸命「いやあ、私、小学校の教師でねえ・・・子供の生徒のためのおみやげなんですよぉ・・・」と説明はするものの、やはり笑いの種である。

海外旅行で何が一番恥ずかしい?って、何たってこれが一番恥ずかしい!

しかも、ご精算が万単位である。プラハの貨幣価値でいくと多分、5万円かもしれない。

「まあ!坊ちゃん、チョコが大好きなのね!・・・でも虫歯にならないでね!」と言ったかどうか分かりませんが、初老のおばあちゃんが私に何か笑いながらチェコ語で話し掛けてきました・・・。多分英語で説明してもわかんねーだろうな。

フー。

こうして、板チョコの買い出しと、リュックいっぱいに積んだチョコの持ち帰りでプラハ滞在の一日が潰れるのだ!

続きは現在作成中・・・