村田ピアノ音楽院、設立前夜の巻。〜自転車操業時代の巻。

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村田ピアノ音楽院、設立前夜の巻。〜自転車操業時代の巻。

私が村田ピアノ音楽院を設立したのは1996年春。今では、教室も軌道に乗り、生徒もかなり上達し、私の青写真そのものとなっていますが、設立当初はなんとも心細いものでした。

私の知り合いのピアノ講師は誰一人、賛成しませんでした。

「今この少子化でバブルがはじけたってのにヤ◯ハを辞めるわけ?絶対後悔するわよ!」

「ふ〜ん、まあ20人集まれば良いけど無理ね!」

「ヤ◯ハっていう看板があるからやっていけるのに・・・ヤ◯ハの特約店になったら?」

「そんなのやらないで佐川急便のドライバーになったら?・・あれって稼ぎ多いんですって!」

あの当時はいつも私に愛想良い先生達が一斉に冷たい顔していうもんですから参りましたが、まあ、たしかに回りから見れば無謀だったと見えたのでしょう。

おまけに親までもが「一人も集まんないんじゃないの?」

つまり、完全な四面楚歌(というより6面楚歌ですかね!)

当然、私だってうまくいくかは分かりませんでした。

ただ、私の中には、次の3点がありました。

まず、何がなんでも自分の中にある音楽や、テクニック、上達方法を、是が非でも世の中に伝達したいという願望を捨てきれませんでした。これは、もう理屈では言えない事です。

願望は別の言い方をすれば、情熱になります。私がピアノを弾き続ける理由、ピアノを弾く事がどれだけ楽しい事なのかを、言葉で説明する事は、「情熱があるから、好きだから」という言葉以外、説明のしようがないのと同じ事です。

第2に、私には大手楽器店教室や、日本の旧指導法の盲点を知り尽くしていました。あの指導法ではいずれ生徒の音楽やテクニック、読譜に破たんが生じる事は明白でした。

加えて、現場の指導講師の実力の低さは、いずれ、生徒達には、ばれるものだと。

本当の指導、音楽、テクニックを宣伝していけば、それを長い間、求めていた人たちが必ず集まるはずと思っていました。

そして・・・第3点に・・・失うものは何もない!

そう!あの時、独身の私には何も失うものはなかった・・・これほど人間、恐いものはないです。ヤ◯ハを辞める時の報酬は月額たったの15万円。これ以上ここにいても、食っていけない事は明白でしたし、さりとて他に就職口があるわけでもなし。

まあ、新宿で段ボールにくるまって一生過ごすも人生。もーどうでもいーや。しかし、その前にやりたい事をしてから段ボールにしよう。そう思って始めたわけです。

そう考えると、今の北朝鮮はけっこう恐い。奴ら、手元にある核と生物兵器以外、失うものは今、何もないわけですから・・・

こうして、私は背水の陣ならぬ、排水の人にて、自分は世の中では、排する人間かもしれないと思いつつ、教室を始めたわけです。


村田ピアノ音楽院、自転車操業時代の巻。

正直言って今でも音楽院は自転車操業状態なのですが、当初のことを語ると・・・

音楽院創立当初の時期の初仕事は、まずは生徒集めでした。

といっても、はたして集まるんかいな?・・・という疑問と不安は拭えず、まあ、いつでもこんな教室、つぶしちまっても良いかな?と思いながら始めたわけです。

当然のごとく、生徒数はゼロからスタート。最初は教室のチラシを作る事から始まりました。

今ではマニア並みのパソコン操作に当時はなれず、パソコンに入っているワープロソフトを修得する事3ヶ月・・・その間、あまりにもパソコンの操作がわからず、頭に来てマックの側面を平手打ちに叩いた事、数十回・・・そのうちウィ〜ンという音を立ててマックのハードディスクが壊れてしまいました。

購入1年以内でしたので、マックのお店に行き「自然に壊れました」と言って新品のマックに変えてもらったり・・・

なんとかチラシの原稿も完成し、さて、それをコピーする為に父のコピー機でチラシを刷る事、数千枚・・・とうとう当時30万もしたコピー機もぶっ壊してしまい、仕方なく印刷屋へ出向きました。

さて、チラシは経費節約の為、各家庭、マンションに自分の足でポストに入れていきました。

当時は生徒がいなくて暇だったので朝から番までポスティングをしていましたが、人間のポスティング枚数の限界は一日7〜800枚。

さて、こんな事してはたして反応あるんかいな?・・・と当初は思っていたのですが、意外や意外!どういうわけか多くの問い合わせの電話が入りました。

たぶん、読む人にとっては、相当インパクトの強い内容が書いてあったんでしょうね?

今ではもう何を書いたか思い出せないのですが、こういうホームページを書いている人ですから・・・

ただし、このポスティングの成果ですが、千枚配ってやっと一人、問い合わせがあるという結果です。

つまりチラシの確率は0.1%!

もし10人生徒を集めたければ、1万枚配るということです。・・・え?つまりやったかということですか?・・・やりましたよ!だってどうせ暇だったし、身体を鍛えるにはちょうどいいかなって。

ところで、チラシを全ての各家庭にローラー作戦で配っていたので、考えてみると、ある程度不安な部分はありましたよ。

たぶん、女性のピアノの先生だったら、こんな事、ちゅうちょするのではないでしょうか?

私は男性でしたが、別の面でそれなりに不安はありましたよ。

「そこは5の指で・・・」「なんだとぉ!俺に、無い指を使えってえのかよぉ!先生よおぉ!」・・・と、やくざが入会したりとか・・・

「先生って、肌が白いのね!あたし、先生って理想のタイプよ!」と、ホモが入会してきたりしたらどうしようとか・・・

もっとも、変な不安をよそに、今では順調にいっていますが・・・