シリーズ〜ラーメン屋とガヴリリュクとホロヴィッツとコンクール
その1・・たかがラーメンされどラーメン・・・
私の住んでいるマンションの近くには通称、ラーメン横町という、この辺りでは知られた数多くのラーメン店が軒並み並んでいる通りがある。
かなり数多くのラーメン店が並んでいるのだがすぐ近くに住んでいるということもあって,今まであまり興味を示さなかったのだが・・・。
もちろん、私自身,今までラーメンを食べたことがないわけではないのだが、適当なラーメン店や,自分で作った生ラーメンを食べた程度で、まあそりゃおいしいといえばおいしいのだが,そう頻繁に行くほどのものでもないだろうと軽く考えていた。
しかし,このラーメン横町の数ある店の中でも、ひときわいつでも列をなして並んでいる店が2つほどある。
しかも夜中の12時とか午前1時とかの午前様の時間帯にものすごい列をなして並んでいるのだ。
いったいこんな時間帯にそれほど列をなしてまでおいしい店なのか???
あるときふらっと店の横を通ったとき、ちょうど腹が減っていたという事もあって、まあ,いっぺん入ってみるかな?・・・と試しにその列をなしている店(M店)に入ってみたのだ。
15分ほど並んだろうか?そして出てきたラーメンだが・・・
やわらかそうなチャーシューとメンマ,そして底が見えないほど濁っている(?)豚骨スープのラーメンだったのだが・・・
これがびっくりするぐらいのうまさだったのだ!。
全くもって驚いてしまった。たかだか650円のラーメンである。
たかだか650円のラーメンだったのだが、いったいこれはラーメンというのか?というぐらい,スープと,チャーシューが凝っていたと言えば良いのだろうか?
そりゃ私だってラーメンぐらいあちこちで食べている。しかし・・・
ラーメンのスープを全部飲み干してしまった店は・・・この店が初めてである。
別に店に対してのお世辞で飲んだわけではない。
全くもってすばらしいラーメンだったのだ。
たかだかラーメンのはずなのだが・・・。
この店には何回か入ったつぎに、今度はその向かい側にあるやはり列をなしている店(N店)にまた入ってみたのだ。
ここの店も豚骨なのだが,何でも魚介類のスープを基本にしてあるらしい。
と・・・ここの店がまたびっくりするぐらいうまかったのだ!
たかだかラーメンである。されどラーメンなのだ。
私はM店もN店も好きなのだが、私自身の好みでいうと,魚介類ベースのN店のみそラーメンが好きである。
この店には通算10回ほど行ってしまっただろうか?
もう店の人には顔をどうやら覚えられてしまったほどなのだが,何度行っても飽きないし,何度行ってもやはりスープを飲み干してしまう。
それぐらいおいしい。
しかしラーメン店はこれだけではないのだ。
この2店ほどではないにしろ,多少混んでいるラーメン店(T店)がある。
そのお店はどんな味なんだろう?昼間は多少混んでいるのだが気になる・・・。
しかし入って食べて思ったほどうまくなかったら損した気分になるしなあ・・・。
と思ったが,まあ試しに食べてみるか、と、この店に入ってみたのだった。
実はこのお店、インターネットのラーメン店評判サイトでは評判がかなり高い。
特にラーメン評論家には絶大な評価がある。
逆に私のお好みのN店はなぜかこのラーメン評論家には酷評されているのだ(何でも脂ぎった、しつこい味がラーメン全体を損なっていると書いてあった)
評論家が賞賛するんだからこのT店はN店を上回るおいしさに違いない!
・・・しかし、夜行っても行列は出来ていないんだよなあ・・・
・・・と半信半疑で食べにいってみたのだが・・・
結果は・・・
正直に言おう。T店はけっしてまずくはない。確かにおいしい。しかし・・・
M店やN店の比ではなかったのだ。
というより,T店よ!おまえんとこは手を抜いて作ってんぞ!そんな「まあこの程度で客は満足するだろう」という考えが見え見えだぞ!
お客の舌ををバカにするのもいい加減にした方がいい。そんないい加減なスープと安っぽいチャーシューで満足するほど客はアホではない。
M店やN店に食べにいって修行してこい!・・・と言いたくなる様な味だったのだ。
それほどまでに,M店やN店はよく研究してある。
ラーメンとは何なのか?いい加減な内容で客を満足させる事など出来ないということをこの店は知っているし,何より”究極のラーメン”という物をこの2店から垣間見ることができる。
しかし・・・しかしである・・・。
M店もN店もいつも行列をなしているのだが,一方評論家から絶大な評価をもらっているT店が行列をなしているのを見たことが私はない。
たとえプロの意見といえども、行列はやはりその店の絶対的な評判を語るに十分である。
と同時に,評論家という嘘っぽい(というより私は評論ということで飯を食っている評論家自体、信用はしていない。これはクラシック界でも同じことだ)意見など何の信用にもならないのだということがよく分かった事例だったのだ。
つまりは、事の真相を確かめたければ,自分の目で,そして舌で確認をしなければならない。
他人の意見などで左右されないこと。これは同じくクラシック界でもいえることだ。
何かとえらい人の意見や,権威に振り回されて・・・それで内容がよければ良いのだが・・・そうでない場合・・・これはおかしいのではないか?と思っても,回りが「そんなことはない」といっているとわからなくなってしまう。
資本主義社会は、すなわち多数派意見が尊重されるのだが・・・しかし必ずしも多数派が正しいとは限らない。
その証拠に、ナチス政権は公正な選挙によって生まれたし、アメリカは国連の正式な決議を持ってしてイラク戦争を起こした。
発展途上国の繁栄の為に植民地支配、という言葉もそもそも、その言葉は正しくなく,それは侵略略奪奴隷支配といえるべきだろう。
そう考えると,行列ができているからといって,それを信用するのもまた危険なのだ。
ひょっとして何となく並んでいるから、うまそうだから試しに並んでみよう・・・という客もいるかもしれないのだ。
やはり自分で確かめないと・・・。
話は変わるが、ピアニスト、ホロヴィッツの演奏はピアノマニアや評論家からは圧倒的な人気を持っているが,一方で日本人の指導者からは毛嫌いされている。特に音大の日本人教員は「あの演奏は絶対聴いてはならない」とまで言われているほどだ(ただし,海外の指導&演奏家からは絶大な人気を持っている)
なぜ聴いてはならないとまで言われているのか・・・
それを持ち出すことは、つまり、評論家から酷評されたN店の味はつまり・・・ホロビッツの演奏そのものだからなのだ。
次回は・・・ラーメンとホロヴィッツについての関係・・・乞うご期待。
2010.1.14
2.ラーメン屋とホロヴィッツ
さて、ホロビッツというピアニストはもう若い人達にはあまり知られていないピアニストかもしれない。
加えてこのピアニストは音大の日本指導者連中からはかなり嫌われていると言っていいだろう。
それはあまりにも作品の再現に逸脱している部分が多いからだろう。
たしかに、「そりゃ,やばいだろ」という部分は良くある(笑)
正直言ってホロビッツがコンクールに出たら1次予選落ちだろうし,音大受験に行ったらどう考えても受からない。
その辺りが指導者連中から絶対聴いてはならないということなのだろう。ただし・・・
そこにはおそらく”禁断の果実”という意味も持っている。
そこが、ホロビッツと私が絶賛しているN店との共通点でもある。
なんと表現したらいいだろうか?
N店は圧倒的にピアニストで言えばホロビッツだろう。
そしてM店はすばらしいが,ちょっと魅力という点では好みがわかれるという点でコルトーといったところだろうか?(まああどっちにしても個性的ではありますね)
もちろん、こういうものは個人の好みも反映するので一概にT店を酷評することは間違っているかもしれない。
逆にいえばT店は良くある一般的な良く出来た模範的な(しかし普通の)ラーメンらしいラーメン店、言い換えれば優秀で模範的な日本人ピアニストである。
それに比べると、N店のラーメンがはたしてラーメンと言えるのか?というぐらい、個性的なラーメンはおそらくラーメン店の中でもアウトロー的な存在でもある。
ただ・・・個性的というよりも、あまりにもスープにこだわりがかなりある。
正直言って何が入っているんだろ?と怖くなるほどまでに(まさか指は入っていないと思うが)、あらゆる食材のスープが入っている事に間違いはない。
そういうあたり、かなりスープは研究しつくされて出していると言っていい。
加えて、お客さんがどういうラーメンを求めているのか?というあたりをよく知っている様な気がする。
そういうあたりは、ホロビッツも同じだ。
とにかく、聞く者の注意力を背けないだけの演奏がある。
なんというか・・・思わず聞かずにいられないというか・・・
その辺りはかなり本人は計算し尽くされた演奏技術を持っていたと思う。
CDをよーく聞くとその辺りが伺える。
彼の演奏で分析するとわかるのだが、とにかくダイナミクスが広い。
その広さがとてつもない音色の多様さや、ドラマチックな演奏を生み出しているのだが、単純に聞いただけではわからない。
人に感動を与えるということは、ややもすると模範的な演奏だと出来ない事が多い。
そこには悪魔的や、妖精的、非常識的な内容が必要になることがあるが、ややもするとそれは教育者からは「客観性に欠ける」と言われかねない。
客観性とは・・・つまり万人が「良い」と言える内容を言う。
そういう意味では個性が強いラーメンや演奏は狂信的なファンもいる一方、酷く嫌う人もいる事は事実だろう。
しかし、しかしである。
人々は腹を満たす為ではなく、また一般定義型のラーメンを食べたい為でもなく、興奮や感動、刺激、至福が欲しい為にお金を出すのだ。
ここがなぜか酷評されがちなラーメン店に行列ができる理由があるし、一方でクラシックという物がなぜかいまいち現代では人気がない原因の一つかもしれない。
そうでなくともクラシック音楽が「古典音楽の再現演奏」などということを言っているからなのかもしれない(もちろん決してその楽譜に忠実な演奏行為に反対はしないが・・・)
しかし、もしラーメンコンクールなどというものがあったら、あのN店はどうなってしまうのだろうか?
やはり1次予選落ちなのかもしれない(笑)
N店のみそラーメン。
これを見ているとやっぱりまた食べたくなる(唾)
2010.2.21