子供スキルアップ法

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子供スキルアップ法

約30年近く、ピアノを指導してきたデータから、どうやったら無理なくゼロからスタートして子供のピアノを上達できるか、というポイントをここで挙げます。

ただし、ここでは例えばコンクールで優勝するというようなスキルアドバイスはありません。

あくまでも、子供が小学生の間にソナタ集に無理なく入れて、幻想即興曲などのクラシックの名曲などを弾けるようにするにはどう指導、誘導したらよいか、という私なりの独自の指導法を述べてあります。

ご参考になれば幸いです。(現在作成中)

  1. 日本語を読むように無理なく楽譜が読めるには?
  2. 低学年まではお母さんは練習に張り付いてください!
  3. 1日5分でもいい!まいにちれんしゅう。
  4. メトロノームはとても大事。
  5. 私のテキストの選び方
  6. ソルフェージュを指導してくださいと良く言われるが•••
  7. スタートの適齢年齢とは?
  8. 一事が万事。最後には忍耐力が必要になります。
  9. 天才も真面目、努力家には勝てません。new
  10. ツェルニーなんて、まだ使ってるの?
  11. ブルグミューラーはピアノ習得のボーダーライン
  12. 低学年、高学年の時に必要な能力について〜その1〜
  13. 私はソナチネは極力使わない
  14. 音楽性は教える物じゃなくて、本人自身が育てる物。
  15. 音大に行くならば、実現&覚悟しなければならない難問課題
  16. 手を卵型にすること自体が別に悪いわけではない(別ページに飛びます)
  17. 符点練習は私はあまりオススメしません。
  18. ご家族でクラシック音楽を楽しむだけでもかなり効果があります。
  19. 本番で暗譜が飛んで真っ白にならないための対処法(別ページに飛びます)

1.日本語を読むように無理なく楽譜が読めるには?

バイエルレベルまでで、ピアノが嫌いになったり、やめてしまう原因は圧倒的に楽譜が読めない、という事ではないかと思っています。

読譜の習得は確かに厄介です。

ですが、ここでまず一つ考えて欲しい事があります。

たとえば、我々日本人は日本語は難なく、しゃべれます。

しかし、言語的には日本語ほど習得が難しい言語は世界的にないそうです。

しかし我々はそれを難なくこなして話しています。

それは小さい頃から、毎日繰り返し、しゃべることを訓練しているからなのです。

同じように、楽譜を読むことも、幼い頃から慣れ親しんでいれば、決して難しくないはずです。

ではどうやって、日本語のように難易度の高い読譜でも読めるようにするのか?

まず、市場では読譜のための訓練に、よくワークブックを使っているようですが、わたしはこれはあまり効果がないと思っています。

もちろん、初期の段階ではド、レ、ミ、の学習は必要でしょう。

しかし、読譜は1度に膨大な量の音符を立て続けに読まなければならないのです。

つまり•••

バイエルレベルでも速い曲なら両手で1秒間に10個は音符を読まざるを得ません。

ソナタレベルなら、1秒間に50個。ラベルの作品だと間違いなく100個は数えるはずです。

つまり、瞬時に多い数の音符を一気に読まなくてはならないのです。

ドリルは時間の制約がないので、ゆっくり一音ずつ回答はできるのですが、それでは意味がないわけです。

英語の習得もペーパーテストばかりでなく、英会話を通して習得しなければ実践では使えないですし、ネイティブ英語は想像以上に速くしゃべるし、その膨大な単語のスピーキングが聞き取れないといけません。

この立て続けに連続で音を読む訓練には、一音ずつ、リアルタイムでドレミで歌いながら練習する訓練が効果大、と思っています。

なぜならば、生徒はある程度曲を弾いてしまうとその曲を耳から感覚的に覚えて、楽譜など見なくても弾けてしまうことが多いからです。

もしくは単純に指の自動の動きで弾いてしまっていることもあります。

本当に楽譜を読んでいるのか?

手の動きで自動で弾いていないか?

本当に一音ずつ読めているのか?

曲を覚えて弾いていないのか?

それをチェックするためにも声に出して弾くことは大変重要です。


2.低学年まではお母さんは練習に張り付いてください!

例えば、子供にを塾に行かせた場合は、何も自分が子供の勉強の面倒を見なくても、塾の先生が責任を持って、すべて面倒を見てくれるのかもしれません。

しかし、残念ながらピアノ教室へは通わせても、こうはなりません。

つまり•••帰ってきたら、お母さんはやはり子供のピアノの面倒は見ざるを得ないんです。

ここを勘違いすると、ピアノが思ったように伸びない可能性も出ます。

なぜか•••。

塾はそこそこ、週に何度か、しかも何時間も通うとは思いますが、ピアノは週にたったの30分程度しかレッスンがないんです。

つまり、1週間にたったの30分しか練習をしていないような事態なのです。

あとは、帰ってから、家で練習です。

当然、練習のウエイトはレッスン室よりも自宅の方が高い。

ここが盲点です。

レッスンの時には正直、どうやって練習をしたらよいか、程度しか指導できないのです。

後の膨大な練習は自宅でしかないのです。

なので、ご自宅での子供さんの管理が要になってきます。

特に、幼児から小学校低学年までは、やはり自分から進んで練習や、要領の良い練習はできないと思うので、どうしてもご家庭のご父母が練習に付き合ってあげないと、まずいことが多いと思います。

さて、練習に付き合う場合、実は、やってはいけないことがあります。

それは、子供が曲をなかなか弾けない時に、横で弾いてしまって、耳から音をコピーさせて習得させてしまうことです。

せっかく読譜の訓練をしながら練習をしているのに、横で、楽譜を読ませずに音で覚えさせてしまうと、結局楽譜を読むことをせずに、曲を完成させかねません。

できることなら、弾いてしまうことで解答を示さずに、一緒に、楽譜の音が何の音なのかを一緒に考えながら、練習に付き合えると良いと思います。

もちろん、現代は母親でさえ、仕事や家事などで忙しいご時世です。

しかし、付き合う時間は5〜10分でもいいのです。どうなっているのか?進んでいるのか?問題はないか?

それを観察することはとても重要です。

正直言いますと、ご父母が練習時間に付き合う時間が長ければ長いほど、上達は早くなります。

ピアノ学習の本当のピアノ講師は、ひょっとすると、教室の先生ではなく、ご自宅のご両親かもしれないのです。


3.1日5分でもいい!まいにち、れんしゅう。

どうやったらピアノが上達するかという、答えの中で唯一、最も効果的なものは、これでしょう。

どんな天才でも、毎日必死に練習する人には勝てません。

とにかく、毎日、練習する事は何物にも負けないほどの効果があり、重要です。

逆に言えば、私が今まで見てきた、うまく上達しない生徒のほぼ90%は、これが原因です。

学校の勉強だって、毎日しなければならないのと同じく、ピアノも毎日しなければいけません。

もちろん、その動機付けは大事ではありますが•••しかし、それでも何が何でも毎日練習しなければなりません。

例えば音符(読譜)の勉強は昨日覚えた事は、今日もう一度復習しなければ、必ず忘れます。

そしてもう一度、覚え直すわけですが、1週間も復習しなければ、2週間前に覚えていた音符でさえ、忘れてしまうでしょう。

つまり、以前よりも読譜の実力が下がってしまうわけです。

1日の練習時間は、たとえ5分でもいいのです。正直幼児などはその程度しか持たない事は多いでしょう。

一方、例えば週末に5×7=35分間、練習することは、毎日5分練習することと同じなのではないかと思うかもしれませんが、これは正直、効果ゼロです。

単純に1週間前の時の実力をさらに下がる事を防止するだけで、何一つ進歩はあり得ません。

もちろん、ここで練習をしなければ、さらに音符が読めなくなるように実力が下降していく事は避けられません。

逆に、意外と着実に伸びている生徒のほとんどは、どうやら自宅では、毎日ではあるものの、あまり集中してはいないような感じの練習でしかない人もいましたが、それでも堅実に伸びていました。

実際、必死に毎日練習している生徒は、小学校低学年ならば信じられないぐらいの劇的な成長があるはずです。

時間も長ければいいということではなく、集中した時間を毎日練習することは、当たり前なことなのですが、非常に重要です。


4.メトロノームはとても大事。

他の教室から移ってくる生徒の中に、どうも今まで練習の時にあまりメトロノームを使ってこなかったな?と思う生徒がいるのですが、そういう場合はすぐわかります。

練習の時にはメトロノームは実は非常に大事なんです。

リズミカルな演奏はとても気持ちのいいものですが、そのリズミカルな感覚を養うには、メトロノームは手取り早い道具なのです。

とにかくメトロノームに合わせて練習すること。

どうしてリズム感がない演奏になってしまうのか?

それはつまり、自分の中にリズムを作り出す機械がないんです。

機械を作るには、いつもメトロノームに合わせる練習をすること。

これはできれば幼少の頃から養わないと、年齢が大きくなればなるほど、リズム感を養うことが難しくなります。

もちろん、メトロノームに合うだけの、ガチガチな演奏というのもまずいのですが、まずは正確にリズムを刻めることが重要。

その次に、本当のリズム感を養うわけですが、まずはメトロノームに合わせた練習が重要です。

次に、もう一つのメトロノームが必要な理由。

それは、読譜を速くする訓練のためです。

ゆっくり譜読みをしながら弾きたくても、メトロノームをかければ、機械が待たせてくれません。

つまり、急かされて譜読みをする羽目になるわけです(笑)。

しかし、それが非常に重要で、速いスピードで譜面を読む訓練にはうってつけなわけなのです。

加えて、読譜をしている間でも、知らず知らずの間に、リズム感の養成にもなるわけです。

ちなみにメトロノームの数字はたとえ遅くてもかまわないのです。

どんなに遅くても、正確にリズムが打てること。これは思っている以上に難しいです。


5.私のテキストの選び方

子供に対してどのようなテキストを使っているかは先生によってまちまちだと思います。

しかし私はあえて長年、次のテキストを使っています。

呉暁 歌とぴあのの絵本シリーズ

幼児の導入には、いかに幼児が親しみやすく、かつ音符やソルフェージュの学習を着実に伸ばせるかがポイントです。

私はこれ以外で幼児導入に適したテキストを知りません。

ヤマハ オルガンピアノシリーズ

非常に歴史の長いテキストで1957年から、幾度か改訂はなされているものの、内容は大きく変わってはいません。

非常に古い教本ですが、中の曲は決して古さを感じさせない、かつセンスの良い選曲、かつ効率的な学習テキストです。

日本で出版されているテキストは非常に多いのですが、私はその全てを購入して検討した結果、トータルバランス的に、これが未だにno,1であると今でも確信しています。

一方、バイエルは未だによく使われているテキストですが、よく検証していただければわかるとは思うのですが、ワーストテキストであると私は考えています

ピアノランドシリーズ

子供達からは非常に興味を引く曲が多数あります。非常に人気が高いのですが、一方でポリフォニックな曲や臨時記号などが多い曲もあるので、やや難しく感じられるようです。

しかし、子供が興味をどれだけ持てるかがテキスト選びのポイントであると考えれば、選択権に十分はいると思います。

私はオルガンピアノ教本の補講テキストとして利用しています。

蛇足ですが、曲集の中に「僕のママとパパはとても仲良し〜」という曲があるのですが、母子家庭や、家庭内離婚が多い昨今、各家庭の事情まで精通していないので、ある意味怖くて、あの曲は私は履修させません(汗)。

ブルグミューラー

名曲というものは何百年たっても色あせないものです。この曲集はミリオンセラーどころか、trillionセラーとして今後も君臨し続ける、ベストセラーテキストで、ピアノ学習者が幼少の頃にこれを履修しないのはかわいそうであると判断しています。

ギロック、子供のためのピアノアルバム、叙情小曲集

ギロック作品は非常に音楽的にハイレベルで、特に叙情小曲集は大人ですら、音楽的にまともに弾くことは至難の技であると思っています。

逆に言えば、叙情小曲集はショパンのノクターン集と全く引けを取りません。

子供にとっては非常に難しい曲集ではありますが、非常に栄養価の高い曲です。幼少の頃からいかに質の高い音楽を学ばせるか、という点では最高のテキストと考えています。

なお、私はソナチネはあまり使いません。

ソナチネの曲集の中には、クラシックの世界ではあまり知られていない作曲家の曲が多いのですが、私はどの作曲家もあまり音楽的でないと考えています。

幼少の頃からいかに内容の濃い音楽に接させるかがポイントであると考えるのならば、手が小さいという理由で使う以外に、あのテキストを選ぶ理由はあまりないと考えています。

どちらかというと、私はソナチネを飛び越えてソナタ集を使わせています。


6.ソルフェージュを指導してくださいと良く言われるが•••

ソルフェージュとは、読譜の訓練、と考えてもらっていいのですが、単純に音符とリズムを読む訓練ということです。

私もソルフェージュを重点的にレッスンの時にやってはいます。

しかし、ソルフェージュをレッスン時に時間をかけてやったからといって、劇的に読譜力が改善されるのかといえば、それは難しい。

確かに読譜の”いろは”は教えられます。

どのように音符を読むのか?リズムはどう叩くのか?どうやって速く音符を読むのか?等。

しかし、それは「読み方」を指導しているだけで、そこでレベルを上達させることは難しいのです。

結局、自宅でできれば毎日ソルフェージュの訓練をしなければ、上達はしないのです。

これはピアノ講師ならばわかると思うのですが、聴音の訓練も毎日しなければ、上達はしません。

結局、毎日の練習が肝心なのです。

しかし、ソルフェージュを自宅で練習といっても、誰かそばに先生でもいなければ難しい。

一方、私の教室で読譜が得意な生徒は、毎日ソルフェージュの訓練でもやっているのかというと、それは違うのです。

ほとんど読譜が得意になった生徒の理由は•••単純です。

毎日、長時間ピアノの練習をしたかどうか?

これだけなんです。

実は読譜が得意な生徒の場合•••実は私の方からレッスン時にソルフェージュの指導はほとんどしていません。

ほとんど、実践的にレッスン中に楽譜の中で音符の指導を即席的に指導しているだけです。

その指導内容をよく覚えて自宅で毎日弾きながら復習する。

つまり、本当の効果あるソルフェージュ訓練とは、自宅で楽譜を読むことに他ならないんです。

そうでなくてもよく練習をする生徒は、レッスンの時に何曲も宿題を持ってくるので、ソルフェージュのテキストをやる時間の余裕がありません。

その場その場で、読譜に誤りがあれば簡単に指導する。

これが本当の実践的、かつ短時間で効率的なソルフェージュの訓練なのです。

ソルフェージュというものをなにか特別な魔法のような薬と考えることは私は疑問を感じています。

結局は、読譜が得意になるには•••毎日長時間の練習でしかないのです。


7.スタート適齢年齢は?

子供のピアノ習いスタート適齢年齢は•••

ズバリ! 年長、プラスマイナス1年間です。

年齢で答えるのはやや難しいです。なぜなら、各生徒の誕生日は私はすべて把握していません。

漠然とした年齢でいうならば、範囲は年中〜小学1年の間でベストスタート時期は年長の春だと思っています。

よく4歳児からが良いのでは、という考えがありますが、4歳児の場合は頭脳的、精神年齢的、身体年齢的にもまだ早いと感じることが私には多く感じます。

ド、レ、ミ。音の順番があるこの内容を理解するだけでも、年齢が幼いと、頭脳的に理解できないことも多い。

また、理解できても指が弱いと、鍵盤を1、2、3、4、の指を使って動かすこともままならない。

また、精神年齢が幼いと母親がいつもそばにいないと不安になってレッスンどころではなくなる。このような状況から、私の場合は早くても年中からが良いと感じています。

もちろん中には精神年齢的に4歳でも大丈夫なこともあり、この辺りは最終的には個人差があるかもしれません。

某最大音楽教室では0歳から指導をしており、早い段階で教育をしなければ、身につかないことが多いと、説くところもありますが、どう考えても何ら根拠はないと考えています。

果たして0歳〜3歳で歌を歌わせることはできても、”教育”ということができるのか?疑問ではあります。

逆に、小学2年生からでも始めるのはなんら問題は一応ないのですが、一般的に中学生になると部活等でピアノをやめるか、停滞気味になる生徒は多い。

また近年では高学年になると中学受験の勉強に入る生徒もおり、そういう意味では低学年の間にピアノの読譜等の習得をある程度まで済ませたいところでもあります。

そういう意味では遅いスタートは以後、なんらかの弊害に関係してくることもあります。

ピアノは一旦中学生で辞めたとしても大人になってから再開する人も多く、また子供の頃に習得していたことはなかなか忘れないことも多いので、やはり年長プラスマイナス1年間の間のスタートが望ましいと考えています。


8.一事が万事。最後には忍耐力が必要になります。

私は子供のピアノ指導においては、格差や差別することなく、指導をしていますが、それでも各生徒において、レベルの差はどうしても出てきます。

それを才能の差、というのは短絡的で、実際は集中力の差といったほうがいいと思います。

子供の教育において、各個人の集中力というのは非常に重要で、多分ピアノだけでなく、他の学習でもおそらく、差が出る要因の一つは興味の材料(動機付け)、そして集中力なのではないかと思っています。

私は興味の材料はいつもベストな状態で与えているので、それでもなおかつ、うまく進歩しない場合は集中力の欠如があるなあ、と思うことは多くあります。

ただ、単に集中力といっても低学年の子供の場合は、集中力、というよりは多分、「忍耐力」なのではないかと思っています。

曲に興味はあるけれども、その曲をこなすための忍耐力がないから、集中してその曲の習得ができない。

この忍耐力は、いわば低学年のうちに”癖”をつけなければいけないと思っているのですが、これはさすがに各個人差があります。

毎日の練習もできれば少なくとも2〜30分はしたいところですが、20分間、毎日、辛抱してピアノの前に座ることは、低学年の時にできないと、絶対的に進歩はしません。

これはさすがに低学年の本人が一人でできるとは思えず、各家庭で親が面倒を見なければならない部分だと思います。

人間、どんなことにでも忍耐力は必要で、それを幼少の頃に養うか否かは、本人の将来に大きな影響はあると思います。

現在の幼児教育や小学生の教育ではなにかと子供のご都合に合わせた指導法で、子供のご機嫌をとることが重要、というような内容も見受けられるのですが、しかし大人になって社会に出た時には、そういう発想は通用しません。

もちろん子供に「なぜ?どうして?」という気持ちによる動機づけは重要ですが、その前に忍耐力もつけないと、論理が理解できても忍耐力がないからできない、という結果になりがちです。

私などはバリバリの貧困昭和育ちなので、忍耐力は人一倍ある方ですが(笑)平成生まれの子供たちも、忍耐力をぜひ持つ為にも、是非ともピアノの学習で鍛えて欲しいと思っています。


9.天才も真面目、努力家には勝てません。

これは『一事が万事。最後には忍耐力が必要になります。』

にも通づる内容にもなるのですが、何と言っても真面目、努力家には天才は勝てません。

大げさに聞こえるようですが、そもそも天才ピアニストというものは、世紀の大努力家といっても差し支えないと思います。

私が今まで教えてきた子供は、もう何人いるかわかりません。

ざっと1000人は間違いなく指導したとは思いますが、今まで様々な傾向を見てきました。

その中で教室の動画集に出てくる子供達は果たして天才という枠組みなのかどうか?

それは違います。

あの生徒たちは非常に努力家なのです。

もちろん、生まれながらの音楽的才能は持っていると思います。

しかしそもそも音楽好きな子供は生まれながらの音楽的才能は持ち合わせているもので、それを生かせるかどうかは指導者の技量に関わってくるのですが、それを開花させるのは指導者だとしても、形として仕上げてくれるかどうは生徒の努力如何なのです。

何と言っても最も大事な項目。それは•••

地道に真面目に取り組んで、努力する。

これに勝るものはありません。

真面目で努力家な生徒は今までの経験上、やはりピアノは非常に上達しています。

音楽的才能はあくまでもそれをクリアした上での個性的な演奏につながる問題です。

逆に言えば、『この子は類稀なる音楽的才能を持っているなあ』と思っても、残念ながらそれを活かせる忍耐力、真面目さ、努力が足りないがために、成就することができないという生徒を幾人も見てきました。

これは子供だけでなく、大人もそうです。

大人は様々な要因で努力ができない環境だとしても、せめて子供は努力するということを幼少の頃に身につけて欲しいと思っています。

これは全ての人間形成において最も大事なことだと思っています。


10.ツェルニーなんて、まだ使ってるの?

などということを書くと反論が来るかもしれませんが、では逆にツェルニーが必要だという人は何故なのか、私は是非聞いてみたいと思っています。

ツェルニーにはあるがショパンエチュードにはないものはあるのか?

ツェルニーでなければないものはあるのか?

答えは•••おそらくありません。

逆にショパンエチュードやリストエチュードにあって、ツェルニーにないものは•••。

それは、音楽です。

しかし、音楽などは指の練習には必要ないのでは?と思う人もいるかもしれません。

しかしそこが、日本教育の盲点なのです。

海外のレッスンを受ければわかりますが、注意されることはテクニックではなく、終始一貫音楽のみです。

しかも繊細な音量変化のみです。

バリバリと大きな音を出すことではなく、あくまでも繊細な音量変化のみ要求されます。

これができないから音楽が表現できない。

それに気がつけば、ツェルニーがあまり役に立たないことがわかるはずです。

もちろん、小学生などが指を純粋に鍛えるという面ではいい練習曲なのかもしれません。

しかし、そんなのはソナタ集か、ハノンでも練習すればいいのです。

特にソナタ集には思っている上に難しい曲がいっぱいある。

もちろん純粋にはツェルニー60番のほうが、ソナタ集よりは難しい。

しかし、そこに音楽はあるのか?

ソナタ集の曲はテクニック的に速い曲で、かつ音楽が濃密であり、テクニックを駆使して、音楽を表現することは至難の技です。

しかしツェルニーにはなんら音楽はありません。

そういう練習曲をずっとやっているうちに本人に音楽性がまるでつかなくなってくる。

これが私が一番恐れることであり、かつ日本人の一番の弱点です。

だからいつまでも日本人はピアノをやかましく弾く傾向があると思っています。

もう一つのツェルニーの盲点。

それはこの練習曲を使うと、力を入れる練習をしかねないということです。

例えばショパンエチュードやスクリャービンエチュード、リストエチュードなどは力んで大きな音を出せば、音楽的には最悪なものが生まれます。

特にリストエチュードは何が何でも大きい音を出せばいいと勘違いしている人がいますがとんでもない間違いです。

そこで本人は何が自分に足りないかを認識するわけです。

しかしツェルニーを練習しているうちは劣悪な音楽が生まれていても関係ありません。

もともと音楽はないのですから。

そうこうしているうちに、ピアノの音ははっきり、大きな鋭い音で弾くことが一番良いと勘違いしがちなのです。

一つ、物証をあげたいと思います。

あたして職業ピアニストはツェルニーを使うか?

これはおそらく使っていません。

逆に、スケール、アルペジオ、重音練習、オクターブ練習などは絶対していると思います。

これはすなわち•••すべてハノンなのです。

私はツェルニーを使うんだったら、ハノンを使うほうが効率的と考えています。


11.ブルグミューラーはピアノ習得のボーダーライン

私はブルグミューラーに入ることはボーダーライン的に非常に大きな違いだと思っています。

私はレッスンの時に常に次回の宿題の曲の簡単な読譜の予習をさせますが、ブルグミューラーの曲においては一切予習はさせません。

ただ単に私が一回、生徒の前で弾いておしまいです。

まずはそれで次回レッスンの時に一人で読譜ができて、スムーズに最後まで弾き通せるか?

これができない場合はまたバイエルレベルのテキストに戻って、読譜の訓練の再履修をします。

つまり、ブルグミューラーに入った時には「楽譜が読めない」ということはあってはならないと思っています。

実は私の教室ではブルグミューラーに入る読譜レベルは非常に高いレベルを求めています。単純にソナチネレベルといっても過言ではありません。

やっとこさで読めるという状態では、ブルグミューラーは与えません。

逆に、レベルが高い状態になれば、この後、ソナチネやソナタが苦もなく弾けるようになるのですから。

私が思うにブルグミューラーで指導するべきことは、読譜の訓練ではなく、音楽とテクニックの指導です。

この段階で1段レベルが上がったピアノ指導を指導することになるのです。

私は子供に対してのピアノ指導はあくまでもまずは、楽譜が一人で読めるようになること。

これが小学生の間に習得できれば、大人になった時にピアノを再開しても、なんら困らないはずです。

これを第一目標にしています。

ですから、とりあえず、それができるようになった時点で私にとっては一安心ですし、父母に対しても、一応要望に答えられたと思って肩の荷が降りるわけです。

なんといっても親はピアノの楽譜が不自由なく読める、ということを一番望んでいるのですから。

しかし、そこからさらにピアノ学習は難関が増えてくるわけです。

指を速く動かすこと、そして、表現を習得すること。

この二つはおそらく、大人でさえも永遠の課題です。

この本当のピアノ学習のスタートがブルグミューラーというわけです。

もちろん、テクニックにおいては小学生の間ではまだ重量奏法(重力奏法)は、初期段階でしか指導できませんし、音楽の指導も、とても「和声感が•••」などという指導はしません。

しかし、確実にその二つの指導が始まるわけです。

と同時に、本当のピアノの楽しさの醍醐味がここから始まる。

もちろん、ブルグミューラーに入ってもピアノを辞めてしまう生徒もいます。

しかし、それはそれでいいじゃないですか。

大人になった時に再開する生徒もいるでしょうし、興味がもてなかったのならば、それはそれ。

とにかく、父母が私のところに来て「自分が小さい頃は、途中でやめてしまって、今は譜面が読めなくて、すごく後悔しているのでせめて子供だけには•••」という要望が叶えられたのですから。


12.低学年、高学年の時に必要な能力について〜その1〜

私が今まで教えていて、ここが盲点だなあ、これが上達しない原因だなあ、と思うことは大体定まっています。

まず、低学年は圧倒的に、「考える力」の養成。

ピアノというものは初期段階ではセンスなどというものはまだ必要ありません。

どちらかというと、基本的な内容であり、これはどの学科でも言えることだと思うのですが、考える力で相当差が出てきます。

考える力、といっても特殊な分野ではありません。

ただ単に「この音はなんの音だろう?」「このリズムはなんだろう?」という単純な内容です。

しかし、その単純な作業の「考える」ことを面倒くさがって、やりたがらない生徒もいることは事実です。

ドから数えれば分かるものを、それすら面倒くさがってやらない。

この面倒くさがるか、否かが、低学年のピアノのレベルの差につながりますし、しいてはおそらくどの学科でも影響が出る筈です。

三つ子の魂、百までと言われるように、幼少の頃に「考える力」をつけずに、いったいいつ、考える力を養成するのでしょうか?

私は生徒全員にピアニストになって欲しいなどは考えてはいません。

しかし、ピアノで養った「考える力」は必ず、以降の人生に大いに役立つ筈です。

次に、ややレベルが高くなった、ソナチネ、ソナタレベルの生徒たちの問題点です。

このレベルになれば、もはやあまり楽譜を読むことに苦手意識はありません。

しかし、音楽的に仕上げられるかといえば、なかなか上手くいかない生徒も多い。

この解決策は私は「自分の演奏、音を聴けるかどうか」だと思っています。

これは子供だけでなく、すべての大人の生徒も同じ問題ですが、冷静に自分の音を聞ければ解決できることがほとんどです。

机での勉強と違って、ピアノという作業は自分の音を聴かなければならないという、音楽独特の能力が必要です。

こればかりは、もう本人の意識の問題であり、先生がどうのこうのできるレベルではなくなってきてはいます。

いつ生徒が、自分の音を聴けるようになるか?

こればかりは「神のみぞ知る」です(笑)。


13.私はソナチネは極力使わない

どこの世界でも、規範とか教本などというもの、もしくは”しきたり”、というものは存在します。

それに沿っていけば自ずと間違いはないはず。

まあ確かに通常はそうだと思います。

しかし、それで疑問を持たないのならばいざ知らず、疑問を持ったならばどう考えるか?

保守的な世界ではそういうことはご法度です。ですから、クラシックの世界では世襲的指導法は守らなければならない。

私に言わせればそれは盲点です。

その中の一つ。

ソナチネ教材。

これに限りませんが、例えば名曲集の中の

1.乙女の祈り

2.アラベスク第1番

どちらも有名な曲ですが、私自身は1番の乙女の祈りは正直、いい教材曲とは思っていません。

かなり有名ではありますが、その曲に比べると、アラベスク1番は音楽的に、習得すべき内容がかなり盛り込んであります。

正直、大人が弾いても難しく感じるはずです。

次に作曲家ですが、乙女の祈りは「バダルジェフスカ」。アラベスクは「ドビュッシー」

クラシック界であまりにも多くの名曲を残しているのは間違いなく「ドビュッシー」です。

この2点から、あまり有名ではない作曲家の曲を練習することはあまりプラスにはならないと考えています。

ソナチネ集の中にはそのあまり知られていない作曲家の作品ばかりです。

もちろん先入観を持つのは良くないことかもしれませんが、私が見たところでは、正直、価値のある作品はあまりないと考えています。

もちろん無駄ではありません。しかしソナチネレベルで他に優れた教材もあります。

ギロックの「子供のためのアルバム」、「叙情小曲集」などはソナチネレベルの非常に音楽的内容の濃い作品です。

ただし、ソナチネ集は唯一、この点だけはソナチネを使う意義はあると思っています。すなわち

オクターブが届かない子供。

ソナチネは極力、オクターブを避けて作曲されています。

そういう点では過渡期の子供にとっては好都合だと思っています。


14.音楽性は教える物じゃなくて、本人自身が育てる物。

ピアノはある程度までは私が責任をもって、ハイレベルなピアノ演奏ができるように持っていくことは可能です。

ピアノ演奏は考えてみれば、読譜力と多少のテクニックがあれば、ある程度の名曲ならば弾けるようになるのです。

もちろんピアノの習得は難しいです。

しかしこの世界、どんな職種でも、同じ人間ができるのだから、きちんと勉強をすれば自分もできる、という発想を持てばなんでもできるのではないでしょうか?

ピアノも同じで、別に特別な才能はなくとも、真面目にコツコツと練習、学習をしていけば、よくある名曲集の曲ぐらいは弾けるようにはなるものです。

しかし、そこには一つだけ、真面目に勉強すれば習得できる、とは限らないものがあります。

”音楽性”

です。

何度も言いますが、ピアノは学習すれば弾けるようになります。

なんたって単純には鍵盤を「キーボード」のように数多く叩いてしまえばいいのですから。

しかし、そこに、どうしようもないエリアが存在するのです。

単純には音楽性は科学的、物理的には音量の変化と言ってしまえば簡単です。

もちろん、それも細かい設計図のごとく指導しようと思えばできます。

しかし、それはたちどころにプロが聴けば、バレてしまいます。

「ああ、多分指導者が全部擦り込んで細く指導したな」と。

では、どうしたら指導者が擦り込んだ演奏ではなく、本人自身が感じて音楽性を表現できるようになるのか?

残念ながら、この特効薬はありません。

結局は指導者がやることは「対処療法」的となってしまうのです。

根本的な治療のような、音楽性を身につけることはとても難しい。

もちろん、私は何度も音楽性を擦り込むように指導はしますが、それを本人がいつになったら感じ取れるかはわかりません。

初めは「猫に小判」状態なのです。

しかし一方、ピアノの前での練習ではなく、他の方法で音楽性を身につけさせる方法もあると思うのです。

それはやはり

”音楽鑑賞”

でしょう。

良い演奏を聴いて自分の中で啓蒙的、もしくは革新的な驚きが生まれて、感動をしてくればしめたものです。

そういうところから、自分自身の音楽性は育っていくと思っています。

いつものピアノの指導だけでは足りないのです。

読書は、読むことは誰でもできます。

しかし、感動は誰でもできません。

その本の良さが分からなければ、感動できない。

どうやったら、読書で”感動”させられるか、なんて技はないのと同じなのです。

唯一の方法は、数多くの良い本と、良い演奏を聴くこと。

指導者の一番難しい指導内容なのです。


15.音大に行くならば、実現&覚悟しなければならない難問課題

ピアノが好きな人が音大に行って音楽を勉強して、卒業して音楽関係の仕事で生計を立てられることほど、幸せなことはないでしょう。

どの講師もそれを本来は勧めたいところです。

しかし、現状はそういう気持ちはあっても勧められません。

あまりにもマイナス要因が多すぎるからです。

音大のピアノ科に行こうと思えば、どうしてもお金がかかります。

グランドピアノの購入、そして近隣への迷惑防止のための防音施設、そして高額な学費。

レッスン代を含めなくてもこれだけで最低、1500万円かかります。

正直、もう現代において音大に行くことは医大に行くことと変わりないのです。

しかし、卒業後に音楽関係の仕事があるのかといえば、残念ながら皆無です。

楽器店の講師の仕事は歩合制で、それだったら派遣社員の方がまだ稼げるし、保障がまだあるのです。

昔は教員という手もあったのですが、近年の少子化により、教員になることはほぼ無理と言えます。

つまり、音大を卒業したら、音楽とは全く関係のない仕事に就かなければ、生計が立てられません。

それでもよければ、音大で十分、4年間勉強して、卒業した後は音楽を捨てて、しっかりとサラリーの仕事をする、という条件になるのです。

当然のことながら、一般の会社勤めをした場合は、練習時間の確保はおろか、帰宅後は疲れで練習もできません。

これが、練習をしたい卒業生にとっては、地獄の選択生活となるのです。

もちろん、ピアノ講師として生計を立てたいと思う人もいるでしょう。

ピアノ講師ならば、練習時間の確保がしやすい。

中には私のようになんとか生計を立てている人もいますが、それでも正直、一般サラリーマンの年収を遥かに下回っています。しかも生活保障は何一つない。

正直、何も利点が見いだせないというのが現状です。

しかし、ただ一つ、救済選択があります。

それは、女性は必ず結婚してパート主婦、もしくは自宅でピアノ教室を開くことです。

これならば卒業後もある程度の練習時間を確保できます。

特にピアノ教室はおそらくどの女性卒業生は夢を見ている仕事でしょう。

収入的にもパートタイムジャブよりは多い収入になります。

しかし、ピアノ教室を開く場合は、なにがなんでも離婚は避けなければなりません。

一般の人がピアノ教室のみで生計を立てることはかなり難しいと考えた方が良いのです。

もちろん、経済的に豊かでなくてもいい。心が豊かな生活を送りたい。

それはそれでいいのかもしれません。

しかし、日本はもうバブル時代ではありません。

中流世帯が経済的に豊かではない時代に生活保護を受けかねないほどの収入になるかもしれないのです。

そういう状況になりかねない世界にあえて生徒を送り出すのか?

音大に行って音楽を勉強して欲しい。しかし生計を考えたら行って欲しくない。

どのピアノ講師もそう考えている時代なのです。


17.ご家族でクラシック音楽を楽しむだけでもかなり効果があります。

子供は興味がある事にはものすごく興味を持つものです。

まず、興味を持たせるにはどうしたら良いか?

レッスンでの興味づけは当音楽院におまかせしていただければ良いのですが、ご家庭でも是非行っていただきたいことがあるのです。

それは家庭でクラシック音楽を楽しむ事です。

たとえば

  1. 両親がピアノや他の楽器を練習する事。
  2. テレビのスイッチは消して常にクラシックCDを流して家族で『〜しながら』で良いから聞く。(名曲集アルバムでも良い)
  3. 安いコンサートやお友達のピアノ発表会に家族で出かけて聴いてくる。

一番大事なことは常に家族で行動するということです。

家族が興味を示すものは本人も興味を示します。

ここから本人がピアノに興味を持ってくれる事が多いのです。

決して本人だけにピアノの練習を押し付けて家族達はテレビやゲームに楽しむという形では、けっしてピアノ好きにはなりません。