前回のブログでこき下ろしたトレンディドラマ「想い出に変わるまで」の動画をちょっと見たら・・・意外とハマってしまい(汗)
1990年当時、わたしはピアノばかり弾いていたので、ドラマなんか見ていなかったんです。
おかしなことにテレビ局のスタジオにはしょっちゅう仕事で出入りしていたにもかかわらず、テレビを見ていなかったもんで(汗)。
1990年の夏だったと思います。毎日ピアノを弾いていた私は夏になると、ピタッとピアノをやめてバイクで北海道に行っていたんですが、青森と函館を繋ぐ青函連絡船の中で乗客がみんな真剣に大画面のテレビを見ていました。その時の放送が「想い出に変わるまで」最終回だったのですが、「ふーん」と思って記憶に留めていただけだったのですが。
現在youtubeでは全ストーリーが見れるようで、全部思わず見てしまいました(汗)。
私が非常に関心があったのは・・・どうして婚約者同士が結婚できなかったのか?
・・・でした。
コメント欄には誰それが悪いだの、ムカつくだの、色々書いていましたが・・・。
私は両者の言い分、そして親の言い分、妹、弟の言い分、全て正しいし、理解できました。
誰も間違ってはいない。
ただ、人間は皆考えが違うので、そこを合わせようということ自体が無理なんだろうなと。
どっちが悪いとかは意味がないです。
結局、両者とも歩み寄りが必要なんだろうなと。
これは単純に婚約者同士の話でしたが、これは一般家庭だともっとシビアだと思います。
なんたって24時間一緒に暮らしているわけなので、ドラブルがないはずがないです。
家庭というものは、簡単なようで、思うに、バランスが微妙に取れた天秤のようで、それを簡単にバランスを崩すことはいとも容易です。
そういう絶妙なバランスの中で一般家庭は成り立っている。誰かが主張を過大に出してしまえば、崩壊はあっという間です。
原作者は誰だろ?と思ったら・・・
内館 牧子・・・ああ、この人、有名じゃないですか。東京都教育委員会ですよね?
話の内容はちょっと現実離れしている部分もありますが(笑)個人的には婚約者新郎(石田純一)を略奪結婚した妹(松下由樹)が実は人間的に一番まともで、できているんじゃないかと思いました。
多分一般的には一番非難される人物ですが(汗)
婚約者の姉から新郎を略奪することは言語道断であり、ありえない話なのですが(汗)
・・・ですが、その点以外においては自分の気持ちをストレートに相手にぶつけずに相手のためなら、なんでもする、というところがある。
仏教では、自己愛(わがまま)を否定して、相手のために生きる、という教えがあります。
そこには自己犠牲も伴うとは思うのですが、確かにそれはお互い必要なのかもしれません。
私の気持ちが、私の考えが・・・
相手から愛情を受け取ることばかり考えていたら収拾がつかなくなる。
同じようにここで出てくる父親役の伊藤四郎も口は悪いが、非常によくできた父親だと思います。
世間ではやっかみがられるけれども、実は口下手な家族思いの立派な父親像の代表のような気がします。
しかしですねえ・・・この伊藤四郎・・・
この当時の年齢・・・実は・・・現在の私と同じ年齢です(汗)
そうか・・・俺もこういうオヤジなのか(汗)
ドラマは1990年です。
これは驚異的な時代で、なんたって携帯電話もなかった時代です。
ダイヤル黒電話も登場する時代で(汗)スマホもないのに若者は電車の中でどうやって過ごしていたんだろう?LINEもなかったのによく友達と遊べたもんだよなあ・・・
・・・って・・・そん時の俺じゃん(笑)
あの時、自分はどういう生活していたんだっけ?と思います。
加えて・・・インターネットも何もなかった時代ですが、何も困らなかった時代ではありました。
物が豊かだから幸せ・・・とは全く限らない。
世の中というものは不思議なものです。