こう感じている人は私だけではないのでは?。
最近のコンクールを聴くと、結果を見てそう思ってしまう。
ショパコンだけではない。
特徴的だったのは牛田君がリーズもショパコンも逃したという点。
もちろんリーズは全員聴いていないからわからないんだけど・・・
なんていうか・・・
感性で訴えた演奏はことごとく却下された気がする。
つまり感性ではなく、模範的で冷静、冷血、取り乱さずに落ち着いた、まるでAIが演奏するが如く感情は入れない演奏が評価されている気がする。
そしてそれを日本のロシア奏法指導者の小田急相模ボスが彼を評して
「あんな演奏、芸術的には評価に値しない」
と酷評するあたり、私はもうクラシックの世界に対して一種の見限りを持っている。
(だいたいそう言っている小田急本人の演奏が聞けたものではない演奏ときたもんだ・笑)
もちろんクラシックは続けるけど・・・
最近実はあまり時間はかけられないけど、クラシック以外の曲の作曲をやっている。
自分はSY99というシンセを2台持っているんですが、これがまーなんたって1990年代の機材なので正直パソコンとの連結がかなり怪しくて時々DAWで動かすとシンセが暴走してしまうんです(汗)
それでマーケットをよく見ていたらたまたまMODXという最新の中古シンセが安く売っていたんで買ってきたんです。
さぞ最近だから音も斬新で美しいのだろうと思ったら・・・
まあまだ1週間も経っていないのでわからないのですが・・・
なんか音自体はSY99の方が分厚くて美しい気がする。
昔の機材の方が価値があったんだろうか?
どちらにしても・・・
感性で訴える演奏がダメって・・・どういうことなんだろう?
それが芸術なのか?
JPOPやジャズは感性で勝負している方なので、正直こちらの方が魅力を感じてしまう。
蛇足ではありますが・・・
SY99にしても、MODXにしても、ヤマハのシンセにはFM音源という音源がある。
これは倍音を利用して複雑なアルゴリズム形態のオぺレータという機械を駆使して音を作るのですが・・・
全てが倍音を基礎として作る音です。
なので一応私は倍音が何か?ということは知っています。
なのでロシア奏法指導者たちが
「基音ではなく倍音を豊かに鳴らすと良い音が生まれる」
というあまりにも単純で単細胞的・即物的論理には苦笑するだけです。
料理で何でもかんでも塩胡椒を入れたら美味くなる、と言っているのとレベルは同じです(笑)。
